さらしもの(feat. PUNPEE)
10/14に配信リリースされた星野源のEP『Same Thing』から、文化系ラッパーの旗手・PUNPEEとコラボした楽曲「さらしもの」のリリック・ビデオが公開されている。PUNPEE監修の元、星野源自らがリリック(ラップでいうところの歌詞)を書いたというこの楽曲には、今の彼の想いが溢れていた。さらしものの意味とは?埼玉のツァラトゥストラとは?考察していく。
さらしものの意味
さらしもの、という言葉には2つの意味があると思う。1つは星野源やPUNPEEのような、ステージの上に立つ人のこと。スターとして人の目にさらされて、自分の気持ちをぶちまけ中指でも立てようものなら大炎上。本心は誰にも明かせず、ただ一人孤独に生きる人。
2つ目にスターだけじゃなくて、誰もが自分を良く見せるために毎日もがきなら生きてる。
何のために?
社会の視線にさらされる中で、誰かにとって自分を価値あるものだと思わせるために。そうしないと、人は生きていけないから。だとすればこれは輝かしいスターではなく、誰にでもあてはまることを歌ってる。それは人気ラッパーでありながら一般人(=PUNPEE)を名乗る彼を、今回のコラボ相手に呼んでいることと、無関係ではないだろう。
スターの孤独を歌ってきた星野源
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星野源は「恋」のヒット以降、あるいはそれよりも前から、スターとしての重圧と戦ってきた。2015年「SUN」で歌ったスターの孤独。人類を照らしながらも、誰もそばにいれず、最期まで孤独だった太陽(SUN)のようなマイケル・ジャクソンについて歌った星野源は、自らがスターとなりその悲劇を味わうこととなった。そして2018年「アイデア」では1番でスターとしての外面を、2番で自分の本心を歌い、その心に積もった悩みをかいま見せた。『POP VIRUS』時点での彼のスター観は別の記事に解説を任せるとしよう。
「さらしもの」では、世間に好き勝手自分を解釈されるスターの立場に、うんざりしている内面を吐き出している。親指や中指(人差し指の隣の指)を立てて好き勝手に評価してくる聴衆。僕は本当は太陽じゃないんだ、輝いて見えるのは世の中の人がそう見てくれているからなんだ、と。そこでPUNPEEにバトンが渡される。
彼はゆるくラップをして、自分にとって他人がどうでもいい(=エキストラ)ように、誰かにとっても自分はエキストラなんだと、とうとうと語る。スターになっても誰かの風景でしかないなら、どうしてこんなに苦しんでいるのか。笑えてくる(=滑稽)。思えば僕らも、同じような感覚で日々を生きているのではないか。
目をつぶって、周りの目線を遮って、イヤホンを耳にはめて。
自分の世界に閉じこもったときに、ふと気づく。君がいることに。
君とは?
ここでは星野源とPUNPEE、互いの関係性のことだと解釈できるだろう。イヤホンを通して聞こえてくる音楽に、これまでは星野源一人の声しか乗ってこなかった。しかしコラボ解禁によって、PUNPEEを始めとした多くのミュージシャンと、共にメインボーカルを務める可能性が出てきたからだ。
同じスターとしての孤独を抱えながら、それでもステージを降りない同志。そしてこの解釈は、星野源を支えるミュージシャンたちや、他の表現者との関係にもつながっていく。彼の音楽には、これまで積み上げてきた繋がりが記録されているのだ。イヤモニ(=密閉型イヤホン)の向こうにいるのは、これまで共に活動してきたプレイヤーたちなのである。
思えば星野源は、藤井隆がゲスト出演したラジオでこんな発言をしていた。
「『POP VIRUS』のドームツアーが終わった後、燃え尽き症候群みたいになってしまって。しばらく音楽できないやって。辞めるしかないのかなって思ってた時期があって」
やり尽くした後のスランプ。そんな時に彼を支えたのが、ある気付きだった。
そこから曲を制作するにあたって、「人と一緒に何かを作りたいって、ふと思い始めて。そこから希望がどんどん湧いてきちゃって」と3人で楽曲を作った経緯を告白。「やってなかったことがあまりにも多すぎて、楽しくてしょうがない」
人と一緒に何かを作る楽しさ。今回のEPまではほぼ全てをセルフ・プロデュースでこなしてきた星野源だからこそ、スターの孤独を誰よりも味わってきたことだろう。
彼は、共に音楽を高めあっていく仲間と、出会い直したのだ。
Fools
サビの「さらしもの」というフレーズは、動画で英訳を確認するとFools(=バカたち)という複数形の言葉があてられていることがわかる。星野源は、単数から複数になれたのだ。しかしこれはまだ始まりに過ぎない、だからいつも通りの朝を迎えるのである。今後について、示していくような一節になっている。
ばかのうたとツァラトゥストラ
『ばかのうた』は、星野源がソロで初めて世に出したアルバムの名前だ。ここで彼は、自分のこれまでの歩みを振り返り始める。その中で埼玉出身の自分のことを、「埼玉のツァラトゥストラ」と自称する。
ツァラトゥストラは有名な哲学書(=「ツァラトゥストラはかく語りき」)の主人公である。その中身というよりは、ツァラトゥストラと作品のあり方に注目すると、どういう意味で使っているのか分かりやすい。まずは重点だけを抜き出したあらすじを読んでみてほしい。
ツアーで燃え尽きて音楽を辞めかけたが、表現者たちと出会ってまた新たなEPをリリースした星野源と重なってくる。
「ツァラトゥストラはかく語りき」という本は、当初はほとんどの人に注目されなかった。しかし出版から100年以上たった今では、哲学書としての知名度においてこの本に勝るものはなくなった。まさに星野源の歩みそのものである。
星野源流のディス
道の無いところを切り開いてきた星野源が振り返ると、自分の作った道を楽そうに歩いてくるやつらがいる。ここで星野源は、HIPHOPで言うところのディス(=批判)をかましているのだ。ここで歌われている人物がどういった存在なのかは、いくらでも想像の余地があるが、あえて書かずにおく。
そしてここで黒ぶちメガネの凡人・PUNPEEと出会う。同じく、文化系ラッパーという道なき道を切り開いてきたミュージシャンである。ツァラトゥストラと同じように、自分の理解者と星野源は出会えたのだ。
おわりに
星野源はこれまで「ばかのうた」を作ってきた。それになぞらえて言えば、『Same Thing』は「ばかたちのうた」になるだろう。単数から複数へ、foolからfoolsへ、見えない繋がりが記録された。
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「さらしもの」のリリックを追うことで見えてきたように、『Same Thing』は星野源にとって救いだ。理解者との出会い、そして新たな表現。筆者は別の記事で、今回のEPについて
オリンピックで星野源が自分の曲を歌う際に、世界の人々が少しでも彼の存在を知っているよう、少しずつ発信力を高めていくつもりなのかもしれない。
と書いたが、間違っていた。星野源はラジオで次のように語った。
今回の『Same Thing』のコンセプトは「友達と作ろう」っていう感じなんですよね。だからいわゆるビジネス的なコラボではまったくないってことですね。僕の友達、そして友達なんだけどかつ、音楽を愛していて僕が大好きなアーティスト。その人たちと本当に音楽を始めた頃のような気持ちでですね、わいわい言いながら音楽を作るという、そういうのをやりたいという思いで。
だからこそ伏せられていたコラボアーティストも、星野源と親和性が高く6月に対談をしたばかりだったトム・ミッシュだったのだろう。
『Same Thing』は星野源の、今の居場所なのだ。
彼が安らぎの中で、新たな可能性を見つけていくことを、切に願っています。それでは。
星野源 Single Box『GRATITUDE』発売
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デビュー10周年記念制作。星野源のシングル11作品を初回限定版と同内容で復刻したコンプリートボックス。ここでしか見れない特典映像もついてくるとのこと、要チェック!
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