くるり/琥珀色の街、上海蟹の朝はシティポップブームへの皮肉だった

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あのくるりがシティポップを書いた!

2016年11月、YouTubeに驚愕の嵐が吹き荒れた。あのくるりが!様々な音楽を実践したが、世間のブームとは距離を置いてきたくるりが!シティポップを書いた!

しかも岸田がラップしてる!何コレ!

シティポップが流行ってるときにシティポップを出すという違和感…。らしくなさに驚きが広がった。でも今考えれば、これはシティポップブームへの皮肉だったのかもしれない

インタビューでの発言

岸田:昔思ってたシティ感、キラキラした、バブリーな感じとか、泥臭さを感じさせないものって、今の若い人たちから見て、もはや幻想ですらない時代に差し掛かってる感じがするんですよ。

引用:qururi.net

シティポップは今ではざっくり都会的な音楽に使われる用語になった。でも本来は都会的な洗練によって、人々に夢を見させるようなポップスを指していたのだ。

岸田から見ればそんな「シティ」はもはや存在していない。僕も同じ意見だしあなたもそう思っていないだろうか。東京は今や憧れを受け止めきれる街ではないのだ。

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ポップらしからぬ暗い歌詞

吸うも吐くも自由 それだけで有り難い
実を言うと この街のやつらは義理堅い
ただガタイの良さには 騙されるんじゃない
お前と一緒で 皆弱っている

引用:琥珀色の街、上海蟹の朝/ 作詞・作曲 Shigeru Kishida

妙に暗いこのAメロって、東京そのものの姿じゃないか?上京したら人生が変わる!なんて時代は10年以上前に過ぎ去って、なんの希望もシティに託せない時代になった。見かけ倒しな虚栄の街。大都市を気取って過去の栄光に縋る東京の姿だ。

街を去る

何はともあれ この街を去った
未来ではなく 過去を漁った
明後日ばっかり見てた君
それはそれで 誰よりも輝いてた

引用:琥珀色の街、上海蟹の朝/ 作詞・作曲 Shigeru Kishida

何の希望も持てないシティを去っていく。暗い未来ではなくキラキラしていたあの頃を、日本が元気だったころを思い出す。そして向かうのは…?

上海へ

上海蟹食べたい 一杯ずつ食べたいよ
上手に食べても
こころほろ苦い あなたと食べたいよ
上手に割れたら いいな
長い夜を越えて 行くよ
琥珀色の街

引用:琥珀色の街、上海蟹の朝/ 作詞・作曲 Shigeru Kishida

上海へ向かう。だって僕らは上海のことなんて何一つ知らないから。知らないから夢を見れる。ミッキーの中が小さいおっさんだって知らないから、子供はじゃれるのだ。

それに岸田は歌詞以外に中国のモチーフを入れていない。それがこの曲に無国籍感を出している。上海でもなく東京でもない、架空のメガロポリスの風景が浮かんでくる。Aメロの暗さとサビの明るさが対比され、強烈な幻想に僕らは包まれる。

おわりに

くるりのシティポップは、シティそのものを在り方から見つめなおした意欲作だ。ここまで突き詰めて、始めて人は幻想を見せられるのだろう。だとすれば世間にあふれるシティポップとはなんなのか

東京っていう都市の象徴みたいなものの実体もかなり危うい、あるいは見えにくい状況やなって。シティポップとして題材にすべきものがあまり見当たらない感じがして、ceroとかを聴いて思うのは、さっきタウンって言いましたけど、もっとミニマムな、「町内」って言うとちょっとイナタいですけど……

引用:qururi.net

岸田はシティなどではなく、タウンやそれ以下の規模でしかないと語っている。この曲を単発でリリースしたことこそ、シティポップブームへの皮肉になっているのだろう。

お前らの歌うそれはシティポップじゃないんだ。誰にも幻想を見せれてないんだ。俺らが教えてやるよ。そんなメッセージに見えないだろうか。その証拠にシティポップらしい曲を出したのはこの一度きりだ。

しかしこの曲がYouTubeで600万回以上再生され、くるり史上最も多い再生回数を叩き出していることは、更なる皮肉となってくるり自身に返ってきているような気もする。ロックンロールが死んだ後の世界を僕たちは生きている。

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