PEOPLE1「怪獣」作詞・作曲:Deu
PEOPLE1のボーカルの一人であり、ほぼすべての曲の作詞・作曲を担うDeu(ドイ)がメインボーカルを務めた「怪獣」。このダンサブルなキラーチューンの歌詞には、その曲調に不釣り合いなほど、自己矛盾に苦しむ姿が描かれている。「怪獣」になるということは、彼にとってどういうことなのか。彼らのインタビューの内容から考えていくと、衝撃的な状況が明らかになる。
セルアウトに特化した音楽ユニット・PEOPLE1
DeuはインタビューでPEOPLE1を「セルアウトに特化した」プロジェクトだと表現した。音楽の文脈においてセルアウトとは、「自分の音楽スタイルを変化させ、商業的に成功することを目指した音源をリリースすること」を言う。一般的には「非難」の意味を込めて、音楽批評などで使われる言葉だ。
簡単に言い換えれば、「売れるためのプロジェクト」がPEOPLE1だと宣言したわけである。ここまで言い切るミュージシャンは珍しい。その背景にはDeuがPEOPLE1結成以前に、The Bad Ten Hoursというプロジェクトで、彼が心の底から愛しているガレージロック(※)を演奏・発表していた経験がある。
全英詞のガレージロックを日本でリリースする難しさ
これがDeuがPeople1結成前から行ってきたプロジェクトのMVである。様々な楽器を演奏できる彼らしく、ギターだけでなくトランペットなども演奏しており、しゃがれ声が曲の良さを加速させている。
しかし、この素晴らしい楽曲は、商業的に成功したとは言い難い。日本で全英詞の曲を売るのは難しい。星野源ですら、全英詞の曲を出した際には批判の声がSNSの一部で上がったほどだ。
Deuは考えた。愛するガレージロックを演奏するプロジェクトは、日本での商業的な成功は難しい。でも好きな音楽ではセルアウトしたくない。そうだ、新しいプロジェクトを作ろう。
それで作り上げられたのがPEOPLE1なのである。失意の渦中にいたDeuは「どこまで行ったとしても一人だ」という思いから、このバンド名を付けた。
1stEP『大衆音楽』
彼らは曲調を現代にウケるようにカスタマイズし、またアートワークにもこだわることで急激にファンを増やした。その過程でリリースされた1stEPのタイトルは『大衆音楽』だった。皮肉が効いたタイトルである一方で、これは彼が後に「怪獣」になろうとする決意の表れでもあった。
セルアウトから距離を置き、ガレージロックを愛する自分がいる。その対極ともいうべきPEOPLE1というプロジェクトは、皮肉にも多くのファンを獲得し、よりDeuを苦しめてしまうこととなった。それでも「売れる」ことを目指した彼の決意を踏まえた上で、もう一度「怪獣」を聴いてほしい。
等身大をやめ、商業音楽の「怪獣」になる決意
歌詞を改めてみれば、彼は説明不要なほど、PEOPLE1の現状に葛藤していると思う。ありのままの「等身大」で好きな音楽をする道を捨て、自分で書いた曲が自分自身を苦しめるという「自家中毒に苦しみながら」、それでも「夜間飛行」のように誰にも注目されないよりはきっとマシさ、とストレートに表現している。
Deuは商業音楽から距離を置く形でその音楽キャリアをスタートさせた。だからこそ苦しい。歌詞の中では、思ってもいないことや好きじゃないことを歌っている、と表現されている。そんな「自分語り」の曲である「怪獣」を書いておきながら、それを自ら「くだらない」と切り捨てるほどの葛藤の中にある。
「怪獣」で歌われている決意、それは彼が苦しむリスナーのために、その悪夢を取り払えるようなポップな音楽をリリースしていくということなのだろう。PEOPLE1というプロジェクトを続けていくために、彼は自己の愛した音楽と決別し、「怪獣」になろうとしているのである。
おわりに
PEOPLE1のWikipediaによれば、彼らのファンは「大衆」と呼ばれているらしい。PEOPLE1は大衆を悪夢から救い、少しでも明かりを届けるために商業音楽の「怪獣」になった。そのことを誠実にもインタビューで全て明らかにし、ポップ音楽に不釣り合いなほど真っすぐな歌詞を書いてしまうPEOPLE1だからこそ、彼らにしかすくえないリスナーがきっといるはずだ。
彼らはその音楽的スタンスから、自己矛盾を歌っている。だとすれば、自己矛盾に満ちた現代社会において、彼らの躍進は一筋の光となるだろう。一方で、彼がその苦しみから解放されることを願ってならない。
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