【消えて/モーモールルギャバン】前作「7秒」から続くインド的世界

モーモールルギャバンが5月20日に新曲「消えて」のMVを公開。インドの火葬風景に着想を得た新曲を、渡航経験のある筆者が解説する。
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輪廻と日常「消えて」のMV

モーモールルギャバンは変わった。これは昨年から筆者が主張してきたことだ。

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これまでも確かにあったエモーショナルで美しい側面を、前面に押し出すという新展開は、彼らがセルフ・プロデュースで楽曲をリリースし始めたことと無関係ではないだろう。本作「消えて」も独力で生み出した楽曲で、モーモールルギャバンのカラーが色濃く出ている。

インドの火葬に着想

「消えて」はVo.ゲイリー・ビッチェのインド渡航に着想を得た楽曲であり、その源泉はインドの火葬にある。

ヒンドゥー教の聖地・ヴァラーナシーでは、陸とガンジス河がガートと呼ばれる階段によって繋がり、街と聖なる大河が一体となっている。そしてガートの一部では、うず高く積み上げられた薪をくべながら、日夜火葬が行われる。誰でも入れる場所でまるで焚火のように、遺体が焼かれていく。インドでは日常の中に死が、その一部として大きな存在感を放っている。

鳴り響く鐘の音。街を歩けば何度も、若者たちがかけ声とともに、竹の組み物に乗せて何かを運んでいく姿を見かける。祭りか?いや違う、遺体だ。ヴァラーナシ―には多くの老人が、自らの死地を求めに移住してくる。灰となってガンジス河に流されることが、彼らにとって最大の幸福である。インドの聖地は、死を待つ人々の街だ。

死が日常の中心に存在する風景が、ゲイリー・ビッチェに啓示を与えたのか。彼らのMVに登場するのは僕らの日常風景だ。輪廻の中で、生と死を繰り返しながら、どこまでも続いていく日々。夢のような現のような。一日が終わり、また始まり、それを何度か繰り返すうちに人生が終わり、そしてまた始まる。終わりのない幻のような世界を、つかの間のまどろみへと誘うシンセサイザーの音が包み込む。

前作「7秒」もインドの死に着想を得ていた

前作『IMPERIALE BLUE』からYouTubeに公開された「7秒」にも、インドの死生観が見られる。

7秒 歌詞 モーモールルギャバン ふりがな付 - うたてん
モーモールルギャバンが歌う7秒の歌詞ページです。 Dancing in the fire そんな心中 CARNIVAL

インドでは夫を亡くした未亡人が遺体を焼く焚火に飛び込み、天国でも添い遂げるという文化がかつて存在した。明言されていないが、この曲で歌われているのは明らかにその光景だ。ゲイリーはインタビューで次のように語っている。

なぜ「7秒」なんですか?

ゲイリー 「永遠の愛」って、この世には成立しないものだと思うんです。死なない限りは。「行く川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」みたいなところが、生命の本質なのでは?と。だから“7秒”くらいで十分なんですよ。人生において自分のことを見て、愛してくれるのは。

引用:ナタリー

ここで「7秒」の解説のために、「死」という言葉を使っている。また先ほど添付した歌詞サイトは読み仮名が間違っていて、実は曲中で「心中」が「しんちゅう/しんじゅう」という二つの読みに歌い分けられている。火の中に飛び込み、踊り狂う。インド的世界によって、刹那と永遠の愛が示されている楽曲だ。

しかし死をもって得た永遠の愛も、アルバムの次曲「AI ha MABOROSHI(=愛は幻)」によって否定される。そして今回の、全てが夢幻の中へ還っていくような「消えて」である。いつかは愛なんて消えてなくなり、輪廻のサイクルの中でリセットされてしまう。繰り返される日常に、自分のいた跡なんて残らないかもしれない。だからせめて、7秒だけ。

前作と新曲「消えて」をつなげて考えていくと、ゲイリーがインドで掴んだ世界の捉え方を、ほんのすこし垣間見ることが出来る。

おわりに

変わっていくモーモールルギャバン、その根底にはガンジス河のそばで死を待つ人々の日常があった。2019年6月12日にリリースされるNew Single「消えて」には、更なる新曲「RAINBOW WINE」も収録予定。彼らの足跡と変貌、その生きた証を見逃すな。

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