きっともう彼女を知る前には戻れない『AINOU/中村佳穂』ディスクレビュー

2018年11月7日にリリースされた中村佳穂の新譜『AINOU』。前作から2年半の時を経たファン待望の新作は、Amazon在庫切れ、TOWER RECORD11月プッシュアーティスト選出、水野良樹(いきものがかり)・tofubeatsら絶賛の快進撃を繰り広げている。この必聴のアルバムを全曲ディスクレビューする。
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新アルバム『AINOU』リリース

11月7日に、多くのミュージシャンの注目を集めてきた最重要若手シンガーソングライター・中村佳穂が、新アルバム『AINOU』をリリース。同名のレーベルを設立し、これからはチームで活動していくことになった。まずは反響の声を紹介しよう。

中村佳穂の知名度から考えれば、水野良樹(いきものがかり)とtofubeats、人気作曲家2人が太鼓判を押していることはすごい。それだけミュージシャンの間では注目されている存在なのだ。であれば彼女の2018年必聴アルバムを、決して聴き逃してはいけない。それでは1曲ずつ、ディスクレビューをしていこう。

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1.You may they

アルバム全体のイントロダクションとも言うべきこの曲は、2:30と短いが決して小品ではない。くぐもったドラム×パーカッションの音像が持つ独自性や、多様に加工された声は、この完成度に至るまでにかかった2年という制作期間を感じさせる。アルバムの方向性を決定づける「You may they」は示す。『AINOU』全体のサウンドプロダクションに潜む、狂気といえる程の拘りを。

有名になる日を想う野心も垣間見えつつ、それでも今を大切にする歌詞。徹底的に話し合って作ってきたというサウンドは、これまでの作品よりもグッとハイクオリティになっているが、良い意味での手作り感は失われていない。この曲を聴いたとき、安心した。2年半も経っているのだし、とんでもないものが出てくるのではないか、変わり果てた姿が…そんな疑念が一時に打ち払われたからだ。この音は彼女のこれまでに連綿と繋がっている。

2.GUM

突如陰から陽へと転じるドラムは、前曲「You may they」で見せた失われゆく現在への感傷を、鮮やかに受け継ぎながら発展させていく。シンセベースやキャッチーなフレーズとクラップ、そして強調されたバスドラムはクラブで流れる音楽を思わせる。このベースミュージック的なアプローチこそ中村佳穂が出会った2人の仲間、レミ街の荒木正比呂[Synth]と深谷雄一[Drum]の功績だ。『AINOU』はこの3人が主要メンバーとなって生み出された。

左から深谷・中村・荒木・MASAHIRO KITAGAWA(後述)

これまでと違うベースミュージックの手法を取るには、全ての音が心地よい配置と質感になるまで、細かい調整を続けなければならない。流動的なアドリブが主体でほぼライブ盤だった過去作とは、真逆のアプローチだ。それなのに、彼女はより自由になっている。最も特徴的な歌声を自由に飛ばすために、ビートを徹底的に作り込んできたのだ。

こういったビートに日本語を乗せるのはかなり難しかったと、中村佳穂はインタビューで語っている。薄れていくが確かに残るものへの安心/不安が入り混じったアンビバレントな感情を歌っている「GUM」。リズム/響きと歌詞自体の意味が両立出来ているすごさ。歌詞カードで見てみるとかなり無茶をしていることがわかる。ここにも2年の努力がある。

3.きっとね!

R&Bが他ジャンルへと越境しながら、よりミニマルに洗練されていく今のシーンと、最も近い楽曲だ。すき間の多い最小限なフレーズの応酬、自由に前後へズレる深谷雄一のドラム、今っぽさのある要素が詰め込まれる。そしてこのシーンを代表すると言える作編曲家・小西遼(CRCK/LCKS)がSax/Fluteで参加し、中村佳穂とユニゾンで演奏することは、両者が同じ方向へ向かっていることを象徴的に示す。

しかしこの曲の、あるいは中村佳穂の独自性は、その声によって繰り出される表現の数々だ。彼女はアルバムを通じて自由に声をかすれさせ、濁らせ、伸ばし、透明にし、そして震わせている。こんな歌い方ありなのか、と思うものも不思議と調和する。リスペクトするHiatus KaiyoteのNai Palm[Gt./Vo.]が持つ表現の幅広さと奇抜さを、あるいはAl Jarreau[Vo.]の持つ多彩な表現を適材適所にはめ込んでいくセンスを、自分の中に落とし込む。超絶テクと洗練とブラックミュージックの歴史が交差する現在のシーンの中でも、中村佳穂はその歌声において際立っている。

4.FoolFor日記

R&BがHIPHOPと溶け合うThe Internet以降の末席に位置づけられるディープなビートが通底するも、どこか懐かしさのある曲。中村佳穂の母の出身地は奄美大島で、何度も行っているそうだ。この「FoolFor日記」には九州以南出身者に共通の民謡染みた伸びやかさと、癖のある音階の揺れがある。この「きっとね!」と違う声のコントロールに、「あんたがたどこさ」のカバーや、民謡を学び・分解し・再構成し続けている馬喰町バンドとの共演で培ってきた、日本民族特有のうたごころを見る。これこそ彼女にしか生み出せなかった表現だろう。

5.永い言い訳

いわば第一部のエンディングとも言うべき曲。これまで述べてきた彼女の声が持つ色彩でもって、その感傷を染め抜いていく。伴奏はピアノのみ。うたとピアノに込められた情動が、イヤホンを通じて伝わってくる。中村佳穂の原点とも言うべき弾き語りにこそ、彼女の独自性がわかりやすく表れている。

6.intro

仕切り直し、幕間ともいうべき曲。これから独自レーベルを持つアーティストとして、音楽業界に羽ばたき、遠くへ行ってしまいそうな中村佳穂を、これまでよりも近くに感じる。彼女がかつて実際に使っていた手法である、IPhoneのマイクで撮ったような声を、なにか予期せぬ未来が待ち受けているような、リスナーに歩を進めさせる和音が下支えする。この曲は中村佳穂の未来と過去の狭間を表した曲なのかもしれない。

7.SHE’S GONE

前曲の期待感を煽る和音をくぐり抜け僕らを待っていたのは、レコードの針が生む柔らかいノイズと、ドビュッシーを思わせる流麗なアルペジオだ。曲のタイトルは「SHE’S GONE」。このSHEに中村佳穂の姿を重ねずにはいられない。彼女はこのアルバムで、決定的に、これまでと違う場所へと足を踏み入れてしまうのだろう。

序盤に見せた静かで美しい表現は、曲のブロックが切り替わる度に増えていく音により、新たな命を吹き込まれていく。この電子音の応酬に中村佳穂を支え、『AINOU』をともに作り上げてきたシンセサイザー奏者、荒木正比呂の大きさを感じさせられる。この凄腕の電子音楽家が、彼女の音源にオリジナリティとノイズによる陶酔を与えているのだ。

8.get back

MASAHIRO KITAGAWAが吹き込んだイントロのコーラス、彼は日本最大級のトラックメイキングの大会で2度もファイナリストに残ったほどのビートメイカーだ。この「get back」でもビートを担当していて、拍を見失いそうになるほどレイドバックするドラムは、他の楽曲と違う表情を生み出している。

前作までサポートを集めて回してきた中村佳穂のバンドは、彼女が全国で出会い相思相愛となった音楽家たちによって、一つの生物となった。ここまで任せられる仲間たちを、全国を行脚することで見つけたのだ。『AINOU』は明らかにソロアーティストの作品ではない、ミュージシャンたちが膝を突き合わせ、長い時間をかけて作り上げたアイデアの結晶だ。

9.アイアム主人公

最もアバンギャルドで予想外な曲が、この「アイアム主人公」だ。ブレイクビーツを思わせる高速ビートに、緩急の付けられたラップが乗せられたこの曲は中村佳穂流のHIPHOPなのだろう。どことなくスチャダラパーを思い出させるコミカルなラップの合間には、語りかけるような歌、独特な表情の声が挟まれる。いわば実験場ともいうべき曲だけど、決して聴きにくくはなっていないポップさがある。

アンダーグラウンドシーンにあった日本語ラップを、メジャーシーンで流行らせたスチャダラパーの功績。前作『リピー塔がたつ』にそのメンバーであるBOSEを招聘した彼女は、そのポップさを引き継いでいるのだ。

10.忘れっぽい天使

ここで中村佳穂は、また立ち止まる。全ての人に向けられた問いかけは、断絶の現代を悲しみ、そして慈しむ。ピアノという楽器の魅力を最大まで引き出す柔らかい伴奏は、ライブ会場で録音した観客の斉唱と合流する。まるでここがあの日のライブハウスであるかのような、錯覚を起こさせる。

11.そのいのち

そのライブ感は「そのいのち」に持ち越される。盟友であり、この曲でメンバーがギターを弾いている馬喰町バンドの影響を受けたように、民族的な歌詞/メロディー。その上で重ねられる声は、古来より人々と歌が織り成してきた風景を思わせる。沖縄に遊びにいった時に、村中の人が集まってきて合唱と踊りを始めた時の様な。きっと100年前も200年前も、この場所で人々は歌っていたんだろうなと感じる。あの感覚。大地と繋がる自分。

12.AINOU

ラストはASAYAKE01とのツインボーカル、中村佳穂はあらゆる表現を試す。この曲を表題曲にして、しかもラストに持ってくるの、アバンギャルドすぎるでしょ。単体で聴いたらそう思うんだけど通して聴くと、確かにこの曲は必須なのだという気がしてくる。「そのいのち」が地球上で紡がれてきた歴史なら、「AINOU」はそれを広大な宇宙空間へと拡張していくようなスケールの大きさがあるからだ。荒木が演奏しているであろうシンセサイザーが幅広い。

そうして広がっていった空間は、突如ミニマルなビートに収束する。まるで拡張を続けてきた宇宙が、無限かに思われた世界が、一時に収縮し、一つの点となってしまったような表現だ。この謎に満ちた『AINOU』の括りが、何度もリスナーをこのアルバムへと誘い続けるのだ。

おわりに

中村佳穂の新作『AINOU』は、R&Bが進化していく現在のシーンに追従する表現を持ちながら、それらの音楽に共通するインディ感を克服しうるポップさを持っている。

聴けば聴くほど新たな発見がある凝ったサウンドプロダクションや声の表現、その奥に潜む無数の選ばれなかったアイデアが、『AINOU』をよりいっそう輝かせている。これまで彼女が感覚でやってきたものを論理的に再構成してきた制作期間2年、この苦闘は彼女の大きな宝となっているだろう。

https://twitter.com/nkaho_staff

『AINOU』スタッフアカウントが開設されている。ライブに行けるようにフォローしておこう。

このアルバムを初めて聴いた感動は、筆者がなぜ誰も読まない音楽の記事を書いているのかを思い出させた。数年前、俺は中村佳穂のライブに行って、関西のインディーシーンにこんなすごい奴がいるってことを知って、それをなんとか発信したいという思いから、文章を書き始めたのだ。クラウドソーシングサイトで見つけた案件に熱弁をふるい、生まれて初めて書いた中村佳穂の紹介記事は、その会社の倒産によってどこかへ消えてしまったけど。それでも何度も記事を書いて、陰ながら応援していきたいと思えるミュージシャンだ。これからも頑張ってください。それでは、また。

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