amazarashiのルーツに迫れ
音楽を更に面白く聴くにはどうしたらいいんだろう。構成要素を知ることで、更に深くその音楽について考えることが出来ると、俺は思う。曲にミュージシャンたちの日々の生活や思考が垣間見え、そしてなによりも彼らが何を聴き、影響を受けてきたかということが、大きな存在感を持って現れていると思う。だからこそ一ファンとして、ルーツは知っておくべきだ。今回は青森の至宝、amazarashiで作曲を担うVo.秋田ひろむの音楽的ルーツについて調べてみた。
青森の風土、2人の作家
amazarashiは青森で結成されたバンドで、秋田ひろむは今も青森市在住だ。そして彼は青森の偉大な二人の作家に影響を受けている。寺山修司と太宰治だ。雪国が育むどこか内省的な語調は、この2人からの影響が大きいのではないか。
アノミー
寺山修司の劇『アダムとイヴ、私の犯罪学』をモチーフに作られたのが「アノミー」だ。堕落後のアダムとイブを描いたような原作には、狂気に満ちたイブが「リンゴの唄」を歌う場面があり、無理やり青森県と結び付けられないこともないだろう。
ここに劇のあらすじがまとめられているのだが、一読するだけでも秋田が強い影響を受けていることがわかるだろう。原罪に基づいた人間のキャラクターや、母親への愛憎入り混じる想いは、「性善説」などの楽曲でも発表されてきた。そして「アノミー」で歌われる自意識の発露と自己嫌悪のサイクルは、寺山よりもむしろ太宰の影響が大きい部分だろう。
ザ・ブルーハーツ 真島昌利
社会に食いつぶされる弱者の視点から、心境を吐露する歌詞を書いてきたマーシーこと真島昌利。音楽ジャンルとしては遠い彼にも、秋田は強い影響を受けたとインタビューで語っている(学生時代にはブルーハーツのコピーバンドをしていた)。
例えば真島の代表曲であるブルーハーツの「1000のバイオリン」の歌詞には、「アノミー」と共通してハックルベリー・フィンが登場する。これは『トム・ソーヤの冒険』に登場する浮浪児で、社会のコードに縛られない純なる存在、現代のアダムとして文学史にその名を轟かせたキャラクターだ。純粋なものが社会によって抑圧される浮浪児であるという皮肉に、マーシーと秋田は共通する美学を見出しているようだ。マーシーの曲を聴いて見よう。
チェインギャング
社会の中で決まった役を演じなければならない息苦しさを歌った前半は、amazarashi「名前」に共通するだろうし、自己嫌悪の過程でキリスト教の原罪に触れているのも両者の共通点だろう。amazarashiの楽曲で、リンゴの持つ象徴性は引用されてきた。しかしこの曲はラストに、社会と自分に一切の期待をしない虚無主義の中で、愛というわずかな希望を見出している。秋田の詞の最後に微かな一条の光が差し込むのは、マーシーの存在が大きい。
友川カズキ
秋田ひろむが影響を公言しているシンガーソングライター。amazarashiに時折現れる強い言葉(「アノミー」の2番サビ前とか)は、友川カズキの切れ味鋭い詞の影響だろう。もちろんここまでに見てきた人たちにも共通する要素ではあるのだが、それにしても友川は際立っている。ナインティナインの岡村隆史もファンで、何度もラジオでかけていたそうだ。
竹原ピストルと野狐禅
秋田ひろむは昨年紅白歌合戦に出場した竹原ピストルのファンで、彼が2009年まで組んでいたフォークバンド・野狐禅(やこぜん)時代から好きだったという。その野狐禅のメジャー1stシングルがこの「自殺志願者が線路に飛び込むスピード」だ。音楽的には遠いように見えて、早口の導入部だったりギターヴォーカル+キーボードという編成だったり、近い部分も多い。
秋田はパンクロックやフォークなど、社会派と呼ばれつつもそう呼ばれることを嫌っていた人たちからの影響を強く受けている。
THA BLUE HERB
amazarashiのアルバムには必ずと言っていいほどポエトリーリーディング(歌ではなく語りによって構成される音楽)が入っている。それはHIPHOPの元祖と言われる表現方法であり、実際に秋田ひろむはHIPHOPの熱心なリスナーだ。彼が聴いているユニットの一つが、竹原ピストルと同じ北海道出身で、内省的なラップによって独自の音楽性を築き上げてきたTHA BLUE HERB(ザ・ブルー・ハーブ)だ。
内省的な音使いや複雑なビートは「アノミー」イントロのブレイクビーツ染みたドラムに共通するし、音程やリズムよりも言葉を強調したラップはamazarashiの多くの楽曲でAメロに用いられている手法だ。実際に「アノミー」でも音程が一定のAメロから、爆発するようにサビへと移行していく。
SFによって警鐘を鳴らす
筆者が影響を感じるのが、THA BLUE HERBによって書かれた「未来世紀日本」だ。映画『ブレードランナー』や『未来世紀ブラジル』から着想を得て、行き過ぎた管理によって崩壊していく未来社会を曲にしている。
SFは気づかせる。このままではいけない。
その役割を音楽が担っているのが「未来世紀日本」であり、そしてamazarashiの「古いSF映画」だ。同じく『ブレードランナー』に着想を得て書かれた曲で、「夏を待っていました」「クリスマス」「アノミー」と続いてきたMVの総集編としても話題になった。
この曲や映像で描かれているのは、行き過ぎた科学の発展に対する批判であり、秋田ひろむはTHA BLUE HERBと同じ方向を向いている。
鬼
もう一人ラッパーを紹介させていただきたい。秋田は「鬼」を名乗る彼のことも、よく聴くアーティストとして挙げている。彼の特徴は苦労した人生のありのままをさらけ出して歌っているところ。amazarashiの楽曲では様々な辛い人生を送っている人の姿が描かれるのがだ、その想像力の源泉はこういったアンダーグラウンドのHIPHOPではないだろうか。
この「小名浜」は二度目の獄中生活の中で書かれたリリックを曲にしたもので、収録アルバムのタイトルは『獄窓』。壮絶な人生をそのまま切り取った衝撃的な曲だ。
ASIAN KUNG-FU GENERATION
「夏の日、残像」のamazarashi感もさることながら、インタビューによれば秋田ひろむはASIAN KUNG-FU GENERATIONも聴いていたようだ。そしてこの曲はアジカンのトリビュート・アルバムで、amazarashiがカバーした曲でもある。どこか映像的な歌詞はamazarashiに通じるところもある。これまでのアーティストほど影響を受けていると、確固たる自信を持って言えないところではあるのだが、紹介までに。
音楽的なルーツ
これまで見てきたのは、秋田ひろむの歌詞のルーツだろう。野狐禅の編成やポエトリーリーディングの原型であるラップに、音楽の要素も見い出せたが明言はされていない。自分が音楽的に影響を受けたものについて、明言しないミュージシャンは多い。なぜならそれは批判に繋がりかねない急所だからだ。しかし音楽は他とのつながり無くしては生まれないし、批判する人こそが音楽を分かっていないということをここに明言しておく。
ポストロック
まず前提としてamazarashiはポストロック/エレクトロニカの影響下にあるバンドだ。「アノミー」の複雑な中にエフェクトのかかったドラムの音や、逆再生されるギター、あえて奏でられるノイズはこれらのジャンルの特徴である。
歌が無いので聴きなれていない人にはきついかもしれないが、amazarashiに近い音になっていくのでぜひ聴いてほしい。内省的なのに広いサウンドスケープが共通していて、特に1:10~あたりからの展開は「季節は次々死んでいく」を彷彿とさせる。秋田がバンドを組むよりも前の、2005年の曲なので聴いていてもおかしくない。
amazarashiが2017年にリリースしたアルバム『地方都市のメメント・モリ』の「水槽」という曲にはそのポストロック的特徴が良く現れているので、ぜひ聴いてほしい。
尾崎豊
音楽的ルーツはこちらで勝手に予想するしかない。ネット上でよく舌戦が繰り広げられる、amazarashiが尾崎豊に似ているのかという議論に答えるなら、似てはいないと思う。しかし文字を詰め込み音程感の無いAメロBメロから、高揚するサビという緩急には大きな共通性があり、やはり影響は受けているのだろう。
ポストロックと尾崎豊の、”溜めて爆発させる“という共通性を結実させたのがamazarashiなのだ。竹原ピストルが尾崎豊から影響を語っているインタビューもあり、間接的に影響を受けていることは確定している。
おわりに
秋田ひろむの発言から追った詞のルーツと、筆者の耳で推測した音のルーツ。どこか参考になるところがあったら幸いだ。様々な解釈があると思うので、下のコメントに頂けると嬉しいです。それでは。
コメント