アジカン「新世紀のラブソング」に込められた問いかけとは?

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愛がなにかもわからないのに

確かな言葉が見当たらない
言い当てる言葉も見当たらない
それでも僕らは愛と呼んで
不確かな想いを愛と呼んだ

本当のことは誰も知らない
あなたのすべてを僕は知らない
それでも僕らは愛と呼んで
不確かな想いを愛と呼んだんだ

引用:新世紀のラブソング/作詞作曲:後藤正文

愛っていったいなんなのかわからない。それは僕もそうだし、きっとあなたもそうでしょう?でもそれを不確かなまま愛と呼んでいる。そしてそれを歌にして歌っているんだ。わからないなりに。

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最も強烈なフレーズ

息を吸って 生命を食べて
排泄するだけの猿じゃないと言えるかい?

引用:新世紀のラブソング/作詞作曲:後藤正文

お前は世界のために何か出来るのか?何か残せるのか?という厳しい問いかけは僕らに、そしてきっと自分自身に。発破をかけているんだろう。お前に何が出来るか考えろ!って。

このあたりは「さよならロストジェネレーション」の歌詞と似ている。

猿からヒトへ

ほら 君の涙
さようなら旧石器
恵みの雨だ
僕たちの新世紀

引用:新世紀のラブソング/作詞作曲:後藤正文

君の涙で「排泄するだけの猿」からヒトへと文明開化。過去と向き合うだけでなく、9.11みたいなこの世で起こってる辛いことを直視しても、涙は流れる。

それが僕らを猿から人へと変えるんだ。じゃあ今のお前らはどうなんだ?猿じゃないのか?煽りソングの様相。かなり過激な発言だけど、歌詞がちょっと難しいから突っ込まれなかったみたいだ。

まとめ

冒頭の歌詞にある野球のセカンドフライの話は後藤本人の実話である。

引用:Wikipedia

最初の歌詞もゴッチ自身だったようだ。「一般人としての自分」と「アーティストとしての自分」を行き来し、最後に「代わり映えしない日々は何のためなんだ?」と問いかけて終わる曲なのだろう。

耳が痛い

猿にならないように気をつけたいところだが、今のところルーティンワークの日々から抜け出せそうにない。せめて目標を持ち、いろんな事に心を動かしていこうと思う。

余談 ゴッチのラップ

the chef cooks me というバンドが「新世紀のラブソング」を気に入り、ゴッチをさそって曲を書いた。

環状線は僕らをのせて / the chef cooks me

ゴッチのラップが聴けるのは珍しいのでここにメモしておく。それではまた。

コメント

  1. ドンタコス斎藤 より:

    検索で来たんですけど、
    「覚めない夢とガラクタ商品
    背負い込む僕らのアイデア
    冴えない詩の如何様ストーリー
    それを鳴らす それを鳴らす」
    これって終わりのない享楽的な消費社会の皮肉ですよね。
    常に浮かれていて、目の前の利便性や溢れるほどの物に囲まれて
    かりそめの豊かさに大衆(このブログ作者も一人)酔いしれている=覚めない夢ってことかと。
    「自分の歌をガラクタ商品」とは、少なくとも直接的な意味合いで表しているかは疑問でした。

    僕らのアイデア、とは消費にまつわるあらゆる新商品アイデア、マーケティングにまつわるアイデア。
    そういうものに囲まれた上で自分のストーリーを鳴らすってことかと。

    政治や経済の世界に答えはないけど俺たちは「愛」を手にしている。
    便利な文明に溢れているけど、本来俺たちは原始的な生き物じゃないのか?
    =加速する資本主義社会、格差、環境破壊、原発、戦争、、そういったもので
    溢れているが俺たちを救うのは、あるいは俺たちが持てるものは「愛」しかない。
    現実に対する悲惨さ=涙が、新世紀を作る。
    旧石器→新世紀と歌詞は並んでいるが、
    ゴッチから言わせれば、無頓着な資本主義、環境破壊、利便性だけを追求する現実こそが
    旧石器で、
    そういったものから解き放たれた原始的な「愛」を取り戻した社会が「新世紀」なんでしょうね。

    これ結構政治的な歌ですよ、是非はさておき。
    ブログ読んで思いましたけど、よくこんな軽薄な、うすっぺらい内容ゼロな考察書けますね。
    「捉え方は人それぞれ」の逃げ口上で気になさらないかもしれませんが、
    あまりにも貴方の捉え方はしょうもないというか・・・。

    • sigefuzisigefuzi より:

      この記事自体は2018年に書いたのですが、今思えばガラクタ商品を自分の歌という解釈は読みすぎだったかもしれません…笑
      その後に続く「冴えない詩~」の一節が自分の歌について歌っているものだと思ったので、そういった解釈になってしまったのかも。
      この詞には消費社会の中で同様に消費される自身の歌への皮肉と、それでも歌い続けることへの熱量を感じます。
      コメント頂きありがとうございました。また一人で管理しているもので、承認が遅れまして失礼しました。
      また機会があれば、コメントのほどよろしくお願いします。

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