母の日に「ハナミズキ」の歌詞をGoogleで調べようと思ったんですよ。そしたら、
ひどい言われようだったんですよ。「怖い」とか「意味不明」とか。でも確かにそうですよね。この歌詞わかりにくいし、確かに怖いと言えなくもないんですよね。
今回は「ハナミズキ」の名誉回復のために、解釈を書いてみることにしました。
「ハナミズキ」の背景
産経ニュースがこのように報じている通り、一青窈は9.11を受けて「ハナミズキ」を書いたそうです。飛行機4機がアメリカに降り注いだ、史上最悪のテロ事件。あの日、誰もが悲嘆に暮れました。
結論を簡潔に言うと、「ハナミズキ」はテロで死んだ母から息子へ贈られる歌なのです。それでは解釈していきましょう。
テロ被害者と平和への祈り
空を押し上げて
手を伸ばす君
五月のこと
どうか来てほしい
水際まで来てほしい引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ
ハナミズキは花をつける木で5月が見頃です。
1912年に日本からアメリカへ桜を贈った際、そのお返しとしてハナミズキが贈られてきたそうです。この時贈った桜は、今でもアメリカの観光名所になっていて、日本とアメリカの友好の証になっています。
この事からハナミズキの花言葉に「返礼」が加わりました。一青窈がテロの映像を見て作った曲なので、この曲もアメリカへの「返礼」と言えるでしょう。
ハナミズキ=君
冒頭でハナミズキが「君」に例えられています。この「君」とは、息子のことなのでしょう。これは後に「母の日」という言葉が出てくることからわかります。
死のイメージ
この歌詞にはさりげなく死のイメージが織り交ぜられています。それが「水際」という単語です。
日本ではあの世のことを彼岸(ひがん)と言いますが、これは「向こう側の岸」を指す言葉です。ちなみにこの世は此岸(しがん)と書いて、「こちら側の岸」という意味になります。そしてあの世とこの世の間には三途の川が流れているということになっているのです。
その岸までやってきて、どうか姿を見せてほしい。でもこちら側には来ないで欲しい。死んだ母から息子への切実な想いが語られているのです。
死後に川を渡るという考えは日本的なように感じます。しかしギリシャ神話を始めとして、死後に川を渡ることになっているお話は数多く見られます。人類に共通する死の感覚なのかもしれません。
単なる恋の歌ではなかった
つぼみをあげよう
庭のハナミズキ薄紅色の可愛い君のね
果てない夢がちゃんと
終わりますように
君と好きな人が
百年続きますように引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ
このサビは、好きな人と君の幸せを願うものなので、結婚式でよく歌われていますよね。
でも一青窈がこの曲に平和への祈りを込めたことを考えれば、そのニュアンスが変わってきます。
「果てない夢」は恋に使うには大げさな言葉ですよね。これはテロによって起こった憎しみの連鎖、その終わりを願う夢なのです。ハナミズキに例えられる「君」は、テロで母親を亡くしているのです。その根絶を願うようになったのでしょう。
その結果訪れた平和な世の中で、初めて「君と好きな人」は長く暮らしていけるのです。
ハナミズキのもう一つの花言葉
ハナミズキのもう一つの花言葉は「永続性」です。一青窈はこの木に、永遠に続く平和への祈りを込めたのでしょう。
その平和の花が咲くためには、蕾をつけなければなりません。その蕾とは、テロを受けて広がっていく平和への祈りなのです。
譲り合いのイメージ
夏は暑過ぎて
僕から気持ちは重すぎて
一緒にわたるには
きっと船が沈んじゃう
どうぞゆきなさい
お先にゆきなさい引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ
9.11が起こったあの夏。複雑な思いを抱え、多くの人が死んでいきました。
船のイメージは、命を懸けた譲り合いについて書いているのです。映画『タイタニック』や『ダンケルク』を思い出されるとわかりやすいのですが、人が船に乗り切れないとき、取り残された側は死のリスクに晒されます。
それでも息子である「君と好きな人」を優先的に乗せてあげるような、未来への希望を繋げていく気持ちがあれば、きっと世界からテロは無くなる。そういう想いが込められた歌詞なのです。
映画『タイタニック』ではパニックの中で誰が救命ボートに乗るか、争いになっていました。しかし実際のタイタニック号沈没事件では、女性や子供を優先的に救命ボートに乗せて、男たちは死の覚悟を決めていたそうですよ。
ここで使われているのは、そういった譲り合いのイメージなのです。
平和への祈り
僕の我慢がいつか実を結び
果てない波がちゃんと
止まりますように
君とすきな人が
百年続きますように引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ
未来へと繋がっていく誰かの犠牲。それ無くして世界に平和は訪れません。
今世界には、復讐の波が広がっています。誰かが誰かを傷つけて、その復讐で誰かがまた誰かを殺して、あの国では未だに戦争が続いていて…。
誰かがこの復讐の連鎖を止めないと、百年恋人たちが暮らせるような平和は続かないのです。このテロの連鎖と報復を「果てない波」に例えているのです。
思いやりで世の中が満たせたら…という一青窈の儚い想いが、2回目のサビに綴られています。
母から息子へ
ひらり蝶々を
追いかけて白い帆を揚げて
母の日になれば
ミズキの葉、贈って下さい
待たなくてもいいよ
知らなくてもいいよ引用:ハナミズキ/作詞:一青窈 作曲:マシコタツロウ
白は平和のイメージですよね。そしてここで出てくる「母の日」という言葉なのですが、死んだ母から息子への言葉だと考えればしっくりきませんか?
ハナミズキが「永遠に続く平和」のイメージで使われていることを思えば、母の犠牲と息子の祈りで、平和になっていく世の中が見えてきますよね。
なぜ葉なのか
ここで注目したいのは、なぜ「花」ではなく「葉」なのかということです。
花はいつか実に変わるので、「平和」の例えであるとわかります。
しかしその「平和」が実るためには、葉が栄養を作りださなければいけませんよね。一つ一つが作るエネルギーは小さいけど、たくさん集まれば花を咲かせ、実りをもたらします。
平和への一人一人の祈りが、「葉」に例えられているのです。「葉」がたくさんあって初めて、実がつくのですから。祈りなくして平和は訪れません。
おわりに
確かに死者からのメッセージだと考えれば、怖い歌に聴こえるかもしれません。でもそこには深い平和への祈りが込められていたのです。
一青窈の想いを、すこしでも汲み取れていたら幸いです。それでは。
追記:なぜ母なのか
多くのサイトでは『ハナミズキ』が父親から息子に送られた歌として紹介されています。それは一人称が「僕」であることが大きな理由になっています。
「母の日」というフレーズは、亡くなった父親が自分の代わりに妻に感謝を伝えてほしい、というニュアンスで解釈されているのです。そして、その解釈は恐らく正しい。ハナミズキの3番目の花言葉は「私の想いを受けてください」であり、感謝を伝えるための花なのです。
しかし産経新聞の上記リンクを見ればわかるように、一青窈はこの曲に母の面影を見ています。綴られている感性や言葉遣いも女性的で、この歌詞の中では”僕”というフレーズだけが異質に感じられます。
このすれ違いは何なのでしょうか。
一青窈は幼くして父を亡くしている
彼女は台湾人の父と日本人の母の間に生まれますが、幼稚園の卒園を機に、父を台湾に残して日本へとやってきます。そして8歳の時に父親を亡くし、以降母の手によって育てられました。彼女の内なる親のイメージが、自身の母親から強い影響を受けていることが伺えます。
恐らくこの曲のモデルになった方は父親を亡くしています。しかし、一青窈が『ハナミズキ』に描けたのは、自分と姉を女手一つで育てた母の姿だったのではないでしょうか。その母も彼女が16歳の時に癌で亡くなります。彼女にとって母は、自分に無償の愛を注ぎ続ける庇護者の象徴なのです。
であれば「僕」という一人称に囚われてはいけません。ここに描かれているのは、一青窈に注がれた母の愛なのですから。
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コメント
これ…父親からの歌じゃなかったでしたっけ。
母の日は、自分の代わりに奥さんに息子さんから母の日を労ってほしい、って。
でないと、「僕」の意味がわかりません。
僕、についての注訳されてないし…
ちゃんと「僕」の注釈は為されていますよ。
この解説が一番しっくりきて泣けました。
実はあんのんさんのコメントがあったので、その部分を追記したのです。
コメントありがとうございます。
作曲者「そこまで考えてなかった」
ちゃんと曲を聴いて、感じ取った上で文章を書かれてますか?
このやさしく包み込むようなしっかりとした曲調から、あなたは”死者からのメッセージ”などというスピリチャルなものを感じたのでしょうか???
多くの作品は、一つの伝えたい思いがあって、それが形になっているのだと思います。この曲もそうだと思います。
それを誤解・曲解するのは大げさに言えば作品に対する冒涜とも言えます。歌詞の解釈もそうですが、もっと研鑽を積んで作品を読み解き、味わえるようになってくださいね。
一青窈さんがこの作品で表現したかったこととは、「相手を思いやる気持ちを、次の世代へ(親から子へ)つないでいけば、憎しみの心(具体的には9.11に代表されるテロ)は無くなるよね」という、一つの思いです。
どうかその思いを、間違えて世に広めないようにお願いします。
ハナミズキの歌詞の意味をよく知りたくて、検索して拝見させていただきました。
とても参考になり、自分なりに納得てできる解釈へ辿り着けました。ありがとうございます。
これ、一青窈本人から歌詞の真意を確認してない以上推測の域を脱する事は難しいわけなので、ここまで”こうだ”と言い切られるとどうかとも思う訳です❗現に私、初めオフィシャルな解説だと思っちゃいました。
しかし、深く的確に捉えてらっしゃるなと思う部分が沢山ありました。
因みに”僕”の件ですが、1コーラスごとに主体が代わってると考えるのはどうでしょうか?
あと「一緒に渡ると舟が沈む」のくだりも、その理由として「夏が暑すぎる」「僕からの気持ちが重すぎる」とあるので単に譲り合いの精神なのか些か疑問が残ります。
更に、「待たなくていい」「知らなくていい」とは何をだろうかという疑問は残ります。
いずれにしても、ここまで掘り下げて下さってなければこの歌詞に関してここまで深く考察する事はまずなかったと思うので、有難うございます❗
先日NHKでご本人がこのことについて語っていましたね。
ナレーションでも 今や結婚式の定番曲ですが。。。実はこの歌
と紹介されて一青窈さん本人が言うには 9.11のニュースを見て
わずか30分後に出来上がっていたとかでした。
一青窈さんとしても嬉しい誤算だったようでした
聴き手が勝手に恋の歌と解釈されていること等をお話ししていました
私はてっきり失恋した男の子が相手の幸福を祈る気持ちを謳っている曲だと思っていました。
僕の我慢がいつか身を結び果てない波が静まるように
知らなくてもいい、
ただ母の日に がなんでかな?と思ってました。
わたしは、何年も、曲が綺麗なので歌っていました。今2023年、痛切に、この歌詞の意味を理解できました。まず、テロリストは関係ありません。すみません、たんなるわたしの感じたことです。
「君」は息子さんのこと、このことから母だけの一人称です。そして、「僕」、これは息子さんが小さい頃に母は、息子さんを、僕と呼んでみることも、あったからなんでしょう。しかし、若くして書かんとされた母の想いは、幼き息子さんも、くみとっていて、成長期、一人の女性と結ばれたそのとき、母の想いのまま、息子さんが歌詞にしたためたのでしょう。 ではどの時に亡くなったのか、それはちょうど息子さんの今の年齢と思われます。 母は、わたし(息子)の歳よりも、前に進んで欲しい、そのことは、あれこれ言わなくても、この歌詞の言うがままです。が、そこに、船が出てきます。想いを叶える時、一つを選べと言われて、誰も一つを選べないです。そして母の想いが、降り注いだのだと思います。