ASIAN KUNG-FU GENERATIONの新境地
「新世紀のラブソング」はASIAN KUNG-FU GENERATION史の中で、かなり特殊な部類に入る曲だ。声を裏返しながら叫びまくっていたゴッチが、まさかのラップである。更にドラムのビートはブレイクビーツを意識したHIPHOPスタイル。なのに人力で打ち込み無し。
いったい僕らのアジカンに何が起こったのかと、不安になったものだ。大人になった今、この現象を捉え直してみたい。
ストリーツみたいなラップがしたかったんだよなぁ、『新世紀のラブソング』は。 http://t.co/xLC1d2aA
— Gotch (@gotch_akg) 2013年1月13日
「新世紀のラブソング」
タイトルが「新世紀」と示しているように、アジカンにとって新しかった。新しすぎて最初は何がなんだかわからなかった。平坦な曲は突如としていつものアジカンに戻っていく。
アジカンの6thアルバム『マジックディスク』では、1曲目に収録されている。別人のようなアジカンが顔を出し、いつものアジカンに戻り、そのまま何気なく9曲やって、最後に浅野いにお作詞の「ソラニン」でアジカンじゃなくなる。
アルバムではこのような導入というイメージだが、シングルとしても出されているし、BESTにも入っているのでかなりお気に入りの曲のようだ。
不思議なMV
MVも不思議である。精神を病んだサラリーマンが心療医に心の奥深くへと導かれる。この医師はフロイトさながらに、この男が抱えるトラウマと向き合わせる。そして最後は心の奥底で出会った、思い出の女の子と再開し結ばれる。
その心象風景は荒涼としているが、それは運命の相手である女の子が側にいないからだ、といったらキザだろうか。
※フロイトが考えたトラウマとは、「心の奥底にあり無意識に自分を操るが、思い出せない記憶」である。フロイトは心の中からトラウマを見つけ出し、思い出させることで治療しようとした。この男にとってはそれが戦争の映像であり、二階堂ふみだったようだ。
歌詞の内容
解釈していく上で歌詞が最大のヒントになっていくだろう。順番に考察していきたい。
日々抱えている後悔
あの日 僕がセカンドフライを上手に捕ったとして
それで今も抱えている後悔はなくなるのかな
十五年たってもまだ捨てられない僕がいて
生活は続く 生活は続く夕方のニュースで何処かの誰かが亡くなって
涙ぐむキャスター それでまた明日
そんなふうには取り上げられずに僕らは死ぬとして
世界は続く 何もなかったように引用:新世紀のラブソング/作詞作曲:後藤正文
ここに読めるのは圧倒的な虚無感である。どうせ俺なんかが何やっても、なんなら死んでも誰の目にも止まらないんだ。誰も見てないんだから。なのにあの日取り損なった打球は自分の心の中で刺さり続けている。誰も覚えていないのに。
こうして心に刺さったトゲを抜けないまま、無情にも時は流れていく。
過去と向き合うこと
ほら 君の涙 始まれ21st
恵みの雨だ
僕たちの新世紀引用:新世紀のラブソング/作詞作曲:後藤正文
フロイトとは違うかもしれないが、辛い過去と向き合わずに人は成長しない。
だから過去を思い出し涙を流すことは、新しい自分になっていくキッカケになる。ああ涙って恵みの雨だな。そう思わせてくる。
平穏な日々に浸る
あの日 君が心の奥底を静かに飲み込んでいれば
誰も傷つかずに丸く収まったかな
ボロボロになっても僕らは懲りずに恋をして
生活は続く 生活は続く朝方のニュースでビルに飛行機が突っ込んで
目を伏せるキャスター そんな日もあった
愛と正義を武器に僕らは奪い合って
世界は続く 何もなかったように引用:新世紀のラブソング/作詞作曲:後藤正文
失敗して後悔して、それを背負って生きていく。そして平坦なビートに突如乗せられる衝撃的な言葉。9.11である。僕らの平和な日々は誰かを傷つけていて、世界のどこかでは憎しみが渦巻いている。そんなことにも気づかずに僕らは生きていく。
やはりここにあるのは虚無感、そして平和な日本への皮肉ではないかと思う。このあとBメロをはさんで、突如「平凡な誰か」は「アジカンのゴッチ」へと戻る。
ASIAN KUNG-FU GENERATION登場
覚めない夢とガラクタ商品
背負い込む僕らのアイデア
冴えない詩の如何様ストーリー
それを鳴らす それを鳴らす変わりない日々をひたすら消費
縫い繋ぐ僕らのアイデア
冴えない詩の如何様ストーリー
それを鳴らす それを鳴らす引用:新世紀のラブソング/作詞作曲:後藤正文
自分の作った歌を「ガラクタ商品」と例えている。自分に自信は無い、でも夢は覚めないなら「鳴らす」しかない。突如として目を覚ますミュージシャンとしてのゴッチ。続くフレーズではその心中の想いを打ち明ける。
コメント
検索で来たんですけど、
「覚めない夢とガラクタ商品
背負い込む僕らのアイデア
冴えない詩の如何様ストーリー
それを鳴らす それを鳴らす」
これって終わりのない享楽的な消費社会の皮肉ですよね。
常に浮かれていて、目の前の利便性や溢れるほどの物に囲まれて
かりそめの豊かさに大衆(このブログ作者も一人)酔いしれている=覚めない夢ってことかと。
「自分の歌をガラクタ商品」とは、少なくとも直接的な意味合いで表しているかは疑問でした。
僕らのアイデア、とは消費にまつわるあらゆる新商品アイデア、マーケティングにまつわるアイデア。
そういうものに囲まれた上で自分のストーリーを鳴らすってことかと。
政治や経済の世界に答えはないけど俺たちは「愛」を手にしている。
便利な文明に溢れているけど、本来俺たちは原始的な生き物じゃないのか?
=加速する資本主義社会、格差、環境破壊、原発、戦争、、そういったもので
溢れているが俺たちを救うのは、あるいは俺たちが持てるものは「愛」しかない。
現実に対する悲惨さ=涙が、新世紀を作る。
旧石器→新世紀と歌詞は並んでいるが、
ゴッチから言わせれば、無頓着な資本主義、環境破壊、利便性だけを追求する現実こそが
旧石器で、
そういったものから解き放たれた原始的な「愛」を取り戻した社会が「新世紀」なんでしょうね。
これ結構政治的な歌ですよ、是非はさておき。
ブログ読んで思いましたけど、よくこんな軽薄な、うすっぺらい内容ゼロな考察書けますね。
「捉え方は人それぞれ」の逃げ口上で気になさらないかもしれませんが、
あまりにも貴方の捉え方はしょうもないというか・・・。
この記事自体は2018年に書いたのですが、今思えばガラクタ商品を自分の歌という解釈は読みすぎだったかもしれません…笑
その後に続く「冴えない詩~」の一節が自分の歌について歌っているものだと思ったので、そういった解釈になってしまったのかも。
この詞には消費社会の中で同様に消費される自身の歌への皮肉と、それでも歌い続けることへの熱量を感じます。
コメント頂きありがとうございました。また一人で管理しているもので、承認が遅れまして失礼しました。
また機会があれば、コメントのほどよろしくお願いします。