本日『かぐや姫の物語』が地上波で放映されました。音楽に関して、最も記憶に残ったのは「わらべ唄」よりも、天人が登場するときの音楽なのではないでしょうか。
ほとんどBGMが主張しない映画なので、あの場面だけが際立っているように感じます。覚えていない方のために…
天人の音楽
かなりの精度で再現されている方がいたので、こちらで思い出してみてください。ここで初めて様々な楽器が登場し、天上と地上の世界の差が際立つのです。
悲しいお別れのシーンの始まりと終わりに響き渡る、不似合いな明るい音色。いったいこれにどういう意味があるんでしょうか。
この効果を正しく理解するために、ストーリーの解釈をしていきましょう。
かぐや姫の罪と罰
かぐや姫の罪とは、不浄の地である地上に憧れたことです。その罰として、彼女には生と死が与えられたのです。高畑勲氏も地上が生の世界で、月が死後の世界であると発言されています。
生を謳歌するかぐや姫
竹取の翁の元で、生を謳歌するかぐや姫。物語の冒頭こそかぐや姫が憧れた世界であり、彼女はそこで育ち、恋をします。
天人に誘導される翁
翁は竹から金を手に入れて、都へと移り住みます。金を与えることで、天人は翁を誘導したのです。
この過程でかぐや姫は「生の喜び」から遠ざかっていきます。生きながらにして、死に近づいていく=籠の鳥の苦しみを、かぐや姫は教えられるのです。
また捨丸が盗みを働く場面を目撃し、自分の中で理想化された生を修正することになります。生きるとは大なり小なり罪を犯すことなのですから。
家のなかのバッタを逃がすほど、命を大切に扱っていたかぐや姫も、自分のために一人の貴族が命を落としたことを知って落ち込みます。ここでも生きることが、罪を犯すことに繋がってきます。
この世の闇を見せられる
髪上げの儀の後、かぐや姫は様々な形で苦しみます。短い人生の中に、わずかな喜びとたくさんの苦しみを与えられる。これが天人による罰なのでしょう。
この過程を経れば、当然かぐや姫は生に憧れなくなるはず…でした。彼女の苦しみに応じて、天人は彼女に死を与えにやってくるのです。
しかし彼女の生への想いは強く、別離のシーンで苦しみます。そして終盤、この世での記憶は消えますが、生への未練だけが残るのです。その想いが彼女をずっと苦しめ続ける、それこそ最大の罰なのではないでしょうか。
(かぐや姫の回想では地上から帰ってきた人が、歌うたびに涙を流しています。記憶は消えても未練だけ残るのです。)
余談:作品のテーマ
この苦しみから作品のテーマが「人生に苦しいことや嫌なことがあっても、楽しいことがあるから、生き続けるべきだ。死んではいけない。今楽しめてない人は、もっと野山を駆け回れるはずだ。」というものだとわかります。
天人の迎え
天人が押し寄せる場面は、かぐや姫に与えられた生の終わりなのです。平安時代に描かれた極楽浄土の光景とそっくりです。死の運命は誰にも止められません。
平安時代の人にとって、極楽に行けることは喜ばしいことですよね。そのために様々な善行を積み、私財を投げ打ってお寺を建てた人もいたほどです。
あの場面でかぐや姫にお迎えが来たことは、平安時代の常識としては喜ぶべきことなのです。だから極端に明るい曲が使われているのです。
ズレ
思えば『かぐや姫の物語』で彼女が苦しんでいたのは、常識と自分の価値観のズレでした。
平安時代なので高貴な方との婚約は、喜んで然るべきですよね。
しかしかぐや姫の感覚は現代の僕たちと同じです。だから彼女は結婚を拒否し、自由に生きようとします。
このズレが最も強調されているのが、天人の場面ではないかと思います。音楽によって端的に、楽しい音楽/悲しい場面というズレを示し、テーマを補強しているのです。
監督・高畑勲氏と作曲の久石譲氏は初めてのタッグでしたが、完璧なコンビネーションで名シーンを作り上げたのです。
サンバなどを参考に
トークショーで高畑勲氏は次のように語ったそうです。
「とても多様な楽器を携えているのだから、実際にはとてもリズムのある音楽のはずだ」と。サンバやイタリアの民族音楽を参考に、イメージを久石さんに伝えた
仏教の極楽浄土を描いた絵を見て、ここまで発想を広げられるのはすごいですよね。
ワールドミュージックを参考にしているからこそ、異質感があったのです。
天上には何の苦しみも無いと思うので、サンバはぴったりな音楽ですよね。明るすぎて喜怒哀楽が無いというか。
注文にぴったりの音楽を書ける久石譲氏の才能には驚かされるばかりです。
余談:生/死を音階で
『かぐや姫の物語』は生/死の対立構造で見ると、様々な場面が解釈しやすくなります。死のイメージだから、帝に抱き着かれた後のかぐや姫は不気味なのです。
音楽に関していえば、生にまつわるものは普通の音階で、死にまつわるものは都の雅な音階で演奏されるという工夫も見られます。童歌も2種類ありましたよね。久石譲氏のすごさと高畑勲氏のコンセプトの完璧さがわかります。
おわりに
『かぐや姫の物語』は様々な角度から解釈出来る物語です。
姫の顔を誰も見ていないのに、屋敷に貴族が殺到している場面は、現代を風刺しているようです。ネットワークの発達で火のない所に煙が立つ現代を。
ただの暗い部屋に3万人が訪れた「ブラックボックス展」のニュースが思い出されますね。先日は国際信州大学という架空の大学を擁護した人たちが、勝手に怒っていましたよね。
作画に関しても、他のアニメ作品より絵であることが強調されているのに、まるで現実のように凄まじい動きをしていることがわかります。
様々な新奇性・実験性を孕んだ物語なのに、そのストーリーを日本人全員が知っているために過小評価されている気がします。もったいないと思うので、ぜひ何度も見て新たな発見をしてみてください。それでは。
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