SEKAI NO OWARIが主題歌に
米林宏昌監督作品、『メアリと魔女の花』の主題歌として書き下ろされた『RAIN』は、ストリングス使いが独特な1曲。ハンマーダルシマーという中東発祥の楽器が王道J-POPに色を付ける。
雨をポジティブに捉える
歌詞をこちらから見てほしいのだが、『RAIN』はJ-POPでは珍しく雨をポジティブに捉えた曲になっている。
制作を振り返るインタビューによると、この雨は心の中に降っている。天気として表された悲しみが、未来で自分の力になるという発想だ。スムーズに比喩をつなげるのはSEKAI NO OWARIの得意とするところだろう。
こういう解釈なら、わざわざ書かなくても良いはずだ。聴けばわかるのだから。だから今回は別の視点から捉えてみよう。
メアリと魔女の花
そもそもメアリと魔女の花は、元スタジオジブリのスタッフたちによって作られたアニメ映画だ。米林監督は『借りぐらしのアリエッティ』で知られた監督だし、プロデューサー含め製作スタッフの8割はジブリに所属していた。
ジブリじゃないという理由で桁違いに少ない制作費の中、どうにか無くなったジブリ制作部を受け継いでいこうという姿勢で作られたのが『メアリと魔女の花』だ。
あえて『魔女の宅急便』や『ハウルの動く城』で宮崎駿が描いてきた魔女を題材に選んだのも、ジブリを超えてやるという強い意志だろう。
その背景に注目すると『RAIN』はどう見えてくるのか。
スポットライトの当たらない場所
SEKAI NO OWARIが『RAIN』で見せたのは、スター選手である「虹」よりもスポットを当てられにくい「雨」に注目するというワザだ。その関係は「ジブリ」と「ポノック」にスライド出来るだろう。
「ジブリ」ばかりが注目されてきたアニメ業界は、大きく変わり始めている。その中で「ポノック」に焦点を当て、応援する歌とも解釈できるのである。
魔法を失って
歌詞の中では「魔法」と「虹」が連なった例えとして登場する。解ける魔法と消えていく虹は、時代の中へ消えていったスタジオジブリ制作部と重なる。
スタジオポノックと米林監督はジブリという魔法を失い、充分な製作費を集めきれぬまま大海へと船を出したのである。彼らに向かって降る雨は、いつか花を咲かせるのだろうか。
おわりに
「ジブリ」と「ポノック」の関係性が『RAIN』の中で意識されているという視点から解釈してきた。これを『メアリと魔女の花』作中における魔法の描かれ方に関連させると、更に面白い解釈になりそうなので、後日形に出来たらアップしようと思う。それでは。
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