【ニコニコ動画の今】米津玄師「砂の惑星」が及ぼした影響を振り返る

米津玄師(ハチ)が2017年にリリースした「砂の惑星」、炎上騒ぎとなった強烈すぎるメッセージとは。
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「砂の惑星 feat. 初音ミク」

VOCALOIDの音楽クリエイター「ハチ」としてニコニコ動画から火が付き、ソロデビューを経て現在の地位を手にした米津玄師。彼が初音ミク10周年の2017年に、「マジカルミライ」というVOCALOIDイベントのテーマソングとして書いたのが「砂の惑星」だ。

これまでニコニコ動画で流行った数々の曲を引用し、2007年の「メルト」からVOCALOID文化が始まったことを示唆する歌詞である。ここから読み取れるのは、米津玄師による2017年のニコニコ動画の評価だ。昔は栄えていたが、今は砂しかない場所。かつての盟友・ハチは、ニコニコ動画を率直に批判する。

水を差されたボカロPたち

初音ミク生誕10周年をお祝いしたいボカロPたちからすれば、VOCALOID草創期を作り上げてきた伝説のクリエイターによる裏切りに感じられただろう。

──ニコニコ動画を「すでに廃れた砂漠」と例えた歌詞のことですね。

はい。「ここ最近シーンにいなかった人が急に戻ってきて、なんで知ってるふうなことを言うんだろう?」「僕のことは置いておいて、ナユタン星人、バルーン、n-buna、Orangestarみたいなこの数年のシーンを支えた人たちも“砂”だって言うのか?」って、ものすごく頭にきちゃって。

引用:音楽ナタリー

現在もニコニコ動画で活躍している作曲家・くらげPは、直接的な怒りをハチにぶつけている(この数日前に初音ミク10周年をテーマにしたハチとryoへのインタビューが掲載されている)。

同じく2017年に初音ミク10周年を記念する曲をリリースしたナユタン星人は、CD版の歌詞から一部内容を変更し、ハチへの返答としている。

この歌詞では「砂の惑星」に雨が降り注ぎ、更なる繁栄が予期されている。そしてその後に続くのは、ハチを否定する一節である。「米津玄師みたいな終末論者の言うことには耳を貸さない」と、歌詞を書き換えてまで自分の姿勢を打ち出しているのだ。

ニコニコ動画の衰退は事実

2009年よりYouTubeの閲覧人数がニコニコ動画を上回り、ニコニコ動画のプレミアム会員数は低迷している。2017年だけで36万人のユーザーがプレミアム会員では無くなり、2018年には運営元であるドワンゴに10億円の赤字が発生した。2019年3月期で「niconico」関連事業は25億円の赤字、大元のカドカワにとって立派な足手まといとなっている。

ハチは「砂の惑星」をYouTubeとニコニコ動画にそれぞれ投稿したが、YouTubeで4000万回以上再生されているのに対し、ニコニコ動画では600万回再生強に留まる。そもそものユーザー数が違い過ぎるのだ。

ボカロPから紅白出場へと夢の階段を駆け上った米津玄師は、これらの数字にシビアである。彼は人が集まる場所に可能性を感じているからこそ、ニコニコ動画からメジャーレーベルへとその主戦場を移したのだ。かといって大衆迎合的な曲をリリースするわけでもなく、あくまで彼自身の表現を貫いている。

2019/5にリリースされた難解な曲「海の幽霊」

「砂の惑星」を去るボカロP

初音ミクの後をついていくギターケースを背負った多くの人影はボカロP達で、初音ミクとは違う道を歩むことを決断している者もいる(3:00~)。

今邦ロックシーンで活躍しているヨルシカ、サイダーガール、ネクライトーキーなどのバンドのメンバーたちも、元々はボカロPであり、特有の中毒性がある曲調で一定の存在感を見せている。そして米津玄師も、初音ミクと袂を別った人物である。

その後に登場する顔が花の人物は、ボカロP達がバンドに採用した人間のヴォーカルだろう。例えば曲中でボカロ文化の原点として語られる「メルト」の産みの親・ryoは、後にヴォーカルを初音ミクからニコニコ出身の女性ヴォーカル・nagiへと変え、楽曲「君の知らない物語」を大ヒットさせた。

こうして離れていく人もいれば、新たに砂の惑星に向かう人もいる。MVのラストで初音ミクはまた別の2人組と出会っている。絶対数は少なくなっているが今も新たなボカロPは生まれ続けているのだ。

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林檎の木は何を意味するのか

歌詞に登場する砂漠に植えられた林檎の木は、もちろん旧約聖書「創世記」に登場するアダムとイブがかじった禁断の果実のイメージだろう。彼らは林檎を食べたことで楽園を追われ、人類は労働と繁殖を強いられる哀れな生き物になった。

しかし罪のイメージをポジティブに捉える考え方もある。知恵の実である林檎は人に知識を与えた。人類の繁栄は林檎が無ければ有り得なかったと考えることも出来るのだ。もし蛇がイブをそそのかしていなければ、人類は子孫を生み出すこともなく、今も裸で草原に寝転がっていたはずだ。林檎は人類の始まりなのである。

米津玄師は自分が今更ボカロPとなってニコニコ動画を盛り上げていくのはおかしいと考えている、だからこそ「今を担う人ボカロP」への最後の贈り物として、林檎の木=「砂の惑星」を残したのだ。これを残すからあとは勝手にやってくれというメッセージは、歌詞にもそのまま表れている。

では「砂の惑星」は何を意図して投稿されたのだろうか。

とにかく話題になることを目指して

上記の通り「砂の惑星」は賛否両方の意見を巻き起こし、ニコニコ動画をにわかに活気づかせた。2017年当時、新たにニコニコ動画で生まれていた音楽に、多少なりとも当たるはずの無かった光が差し込んだのではないか。

7月の投稿から二か月がたち、火が消えかけた「砂の惑星」大激論の流れに、新たな薪をくべる米津玄師。ある意味面倒見が良いし、かなりの数の質問に答えているのがすごい。

思えば米津玄師のインタビューの直後に、彼を批判する若手ボカロPの記事を載せたのも、その意図があるとしか思えない。

炎上でもなんでもいいから話題にして活気づけるという荒っぽいやり方が成功して、当時のニコニコ動画のアクティブユーザー数が増えたのかは定かではない。しかし米津玄師の意図したことは、ニコニコ動画にもう一度注目を集めることだったし、若いボカロPたちの反骨心を煽り、シーンを活気づけることだった

おわりに

あれから二年、米津玄師の願いは届かず、ニコニコ動画は更なる砂漠化が懸念されている。

YouTubeがコンテンツとして強すぎること、そもそもボカロP達はニコニコ動画以外でも活躍できること、Apple Musicなどのサブスクリプションサービスを使った方が収益化にも繋がることなど、様々な理由が挙げられる。しかし大元を辿れば、ニコニコ動画の過疎化が原因である。人の集まらぬところに流行はなく、発明もない。

米津玄師がニコニコのゲーム実況者にイラスト提供、45,000リツイート

しかし米津玄師は諦めていない。凄まじい発信力をもった彼が話題を提供することで、ニコニコ動画を通っていない世代と、砂の惑星の住民を引き合わせる。

動画はYouTube、音楽はサブスクとライバルが多い現在、ニコニコを再生するためには、そこにしかない価値を運営側が生み出していくしかないと、個人的には思う。しかし不採算事業化したコンテンツにどこまでエネルギーを割いてくれるのか。

米津玄師やそれに反発したボカロPらの努力も空しく、ニコニコ動画は本当の砂の惑星へと変わりつつある。初音ミクたちも今はYouTubeで楽しくやっている気がするし(YouTubeではボカロ曲が投稿初日に1万回再生されることもザラにある)、本当にこのまま終わっていくのかもしれない。

さらば僕らの青春。リンゴの木は実をつけることなく枯れてしまった。

米津玄師のセルフカバーが尖りまくってて面白い件
米津玄師がサブスクを解禁し、Apple MusicやSpotifyなどでも楽曲を聴けるようになった。彼の既発表曲の中でも異彩を放つのが、セルフカバーの楽曲たちである。他のミュージシャンへ提供した楽曲が、全く違うアレンジで生まれ変わっている。実験的にも感じられる「パプリカ」「打上花火」「まちがいさがし」のセルフカバー版を...

コメント

  1. 日本語太郎 より:

    >袂を別った人物である。

    誤字、誤用…3つの誤り

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