カワイく…ない!
きょうび“可愛くないアイドル”って別に珍しくもないじゃないですか。AKBに始まり、ももクロ、BiSHとかもそう。でんぱ組.incもその中の1組で、はっきり言って“顔がカワイイ”アイドルではなかった。
なぜ“顔が可愛くないアイドル”がもてはやされるのかというと、これは秋元康が気づいたすごい価値観だと思うんだけど、まさに“カワイイは作れる”というもの。最初は全然可愛くないなと思って見ていても、見続けるうちにいつの間にか可愛く見えてくるんですよね。
カワイくない子でも、その対象があからさまに“カワイイと思われる行動”を取り続けるうちにいつの間にかカワイく見える。MVに映るとか、テレビに映るとか歌って踊る。これら本来なら“カワイイ人”がやるべき行動を続けるうちに、脳が錯覚するのかいつの間にか“カワイく”見えてくる。
これに気づいた秋元康はマジモンの天才。なんだけども、でんぱ組.incの新曲のMV。
…カワイく…ない!!
攻めすぎ
いや、何してんの??
ア…アイドルだよね?仮にも…??
アイドルって“カワイイ”が売り物であって、カワイイと思わせられなければ売り物にならないわけじゃないですか。
そ…それなのにこのガングロメイク。金箔塗りたくった女、そーゆーAVでしか見たことないんだけど。
普通カワイくないとしても、カワイイものとして顔面を推すのがアイドルというもの。それが…どれだけ目を細めて見ても決して“カワイくない”。
そもそもガングロメイクがすぐに廃れた理由って“カワイくない”からだと思うんですよ。その奇抜さがウケて一時的なブームになったけども、可愛いを追い求める女子たちが一旦冷静になった時に、「あれ?これ可愛くなくね?」っと気づいた結果、ごく一部の可愛いよりも奇抜さを求める女子だけが残った。それがガングロメイクじゃないですか。それなのに、なぜカワイイを売り物にしてるアイドルが“カワイくない”ものでMVを作るの…?
上記で書いた“カワイイを作る”というのは、あくまでも“カワイくないアイドルでもカワイイ振る舞いをする”ことで生み出せるんですよね。逆に言ったらカワイくないアイドルがカワイくない振る舞いをしたらカワイくないことが簡単にバレるんです。
だから今までの彼女達はあくまでも“カワイイ”を作り続けてきた。
カワイイ衣装、カワイイメイク、可愛い表情、色鮮やかなMV。
これらは明確に彼女達をカワイイと思わせるためだったはずだ。
ついに「カワイイ」よりも話題性を取ったのか
「いのちのよろこび」。一部では話題性のためなんて言われているが、もともとでんぱ組.incというグループは、一人一人に重めのキャラクターをつけて全員がオタクなのにアイドルという、話題性を売りにしたグループだった。
つまり外見ではなく内面を売りにする珍しいタイプのアイドル。そういう意味では最初から“カワイイ”ではなく“オタクなのにアイドル”という話題性先行のグループだった。
ところが、容姿がカワイイ最上もがが加入した頃から、最上もが目当てのファンが増え、“オタク”という設定は少しずつ薄れていき、いわゆるカワイイアイドルグループという路線に向かった。
元気すぎ。オタク設定どこいったの??この辺りの楽曲はオタク要素が抜けた曲が多い。
そう。でんぱ組.incは最上もがが人気になるまで、“カワイイアイドル”ではなく話題性先行のグループだった。
もしかして、アイドルやめようとしてる?
万人受けのカワイさを持った最上もがと、初期メンバー夢眠ねむの脱退劇を経て、でんぱ組.incはアイドルというカテゴリーを抜け出そうとしているのではないだろうか?
もともと彼女たちは楽曲も良くアート性も高かったことから、既存のファンにもアイドル好きだけでなく“邦楽ロック好き”のファンが多かった。(ROCK IN JAPAN FESTIVALなどに出演していることからもその需要が読みとれる。)
この曲もアイドルとしての可愛いはもちろんだが、それ以上に楽曲の完成度の高さが評価され、スピッツのボーカル草野マサムネ氏がお気に入りの曲として聴きまくっているとラジオで公言している。
アイドルなのにジャズピアニストH ZETT M[PE’Z/ex.東京事変]氏に楽曲提供してもらうなど、楽曲への作り込みがガチ。しかもMVにもH ZETT M氏に出てもらうってアイドルのMVとしては考えられない。作詞は漫画家浅野いにお氏に依頼していることからも、アートとしての完成度を追求していることが伺える。
僕自身もでんぱ組.incが好きなのだが、曲を出す度に歌って踊る彼女たちを見たいという気持ちよりも楽曲やMVを含め、次はどんな作品を作るのか?という点を楽しみにしていた。
ガングロをよく見ると、ギャルではなく金箔をあしらったツタンカーメンのようなメイクになっていることがわかる。曲中のパーカッションのリズムや有史以前の人類をテーマにした歌詞へ、合わせたビジュアルだろう。この姿はアイドルとしてのカワイさを犠牲にして、ひとつのメッセージを僕らに伝えようとしている。
MVの中で時が流れても、彼女たちの金箔メイクは変わらずあり続ける。それは歌詞に描かれた「悠久の愛」を象徴するのだ。過去も未来も飲み込んだ、変わらぬ愛への讃歌。「いのちのよろこび」とは何なのか、でんぱ組は金箔まみれの顔で叫ぶのである。
カワイさを追い求めるアイドルではなく、独自の表現を模索するアーティストへと、でんぱ組は変わっていく。「いのちのよろこび」で彼女たちが示したのは、その覚悟だ。
しかしこのMVや曲は最終到達点ではないだろう。だからこそ今後でんぱ組がどのように変わっていくのか、見届けなければならない。彼女たちなら何かをやってくれる、そんな気がしてならない。
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