「HAPPY」MV
シンプルなリズムに乗せて滔々と語られる想い。クラップ(手拍子)が特徴的な「HAPPY」では、リスナーが、会場が、あるいは人類が一体となって、生命を祝うような…エネルギーが込められているようです。
シークレットライブの映像
MVに収録されているのはBUMP OF CHICKENが行ったシークレットライブの様子です。このライブは「HAPPY」を初披露するためにセッティングされました。なんとライブ会場が当日の13時まで発表されないという徹底ぶりで、ファンをわくわくさせました。しかもその数は1500人、行けたファンはすごくラッキーですね!
その歌詞には、どんな意味が込められていたのでしょうか?
「HAPPY」歌詞
最低限の願い
健康な体があればいい
大人になって願う事
心は強くならないまま
耐えきれない夜が多くなった引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
「健康な体」ってもちろん大切ですよね。皆さん不摂生してませんか?夜更かししないでちゃんと寝て、たまにはお日様がっつり浴びないといけませんよ!
でもそれって人生を送るうえでは、最低条件じゃないですか?子供の頃はたくさん願うことがあったけど、最後に残ったのがこれだったという感じですよね。そんな当たり前すら満たせなくなってきているのが、現代を生きる大人たちの抱える闇なのかもしれません。
子供の頃の自分
少年はまだ生きていて
命の値段を測っている
色々どうにか受けとめて
落書きの様な夢を見る優しい言葉の雨の下で
涙も混ぜて流せたらな
片付け中の頭の上に
これほど容易く日は昇る引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
藤原基央は「HAPPY」のテーマが「生と死」であると語りました。このフレーズはかなり強烈です。大人と対比される形での少年。子供の頃の自分が大人になって変わってしまった自分自身を見つめています。「ああ、まだ自分の中にも子供の頃のような情熱はあったのか…」という「まだ」なのです。
「自分は何をするために生まれてきたんだろう」そんなことを考えていたら、毎日生きていけませんよね。しかしまだ、自分の中には「少年」がいます。自分の存在価値を測り、世の中の矛盾に苦しみ続ける少年が。
だから「落書きのような夢」を、つまり悪夢を見て苦しんでいるのです。もし本当に無感情な大人になったら、苦しみは無くなりますが、もう人間ではありません。生きていないのと同じです。
そんな全然整理できない頭を、世界は待ってくれません。頭は整理できないままに時は流れ続けて、結局何も分からないまま歳を重ねていくのです。それが人間なのかもしれません。
希望が無いサビ
悲しみは消えるというなら
喜びだってそういうものだろう
誰に祈って救われる
つぎはぎの自分を引き摺って闘う相手さえ解らない
だけど確かに痛みは増えていく
教わらなかった歩き方で
注意深く進む引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
こんなに希望が見えないサビを、今まで藤原基央が書いたことはあったでしょうか。
悲しみが癒えるように、喜びだっていつか消えてしまうでしょう。どれだけ傷ついても、誰も救ってはくれません。神なんていないのですから。いったい何のために自分が生きているのかもわからないまま、目標もなくただ傷だけが増えていく、それが人生です。その苦しみの中で自分だけの歩き方を見つけていくのです。
知識を欲する
膨大な知識があればいい
大人になって願う事
心は強くならないまま
守らなきゃいけないから引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
心を守るために、大人は知識を欲します。わからない人生の歩き方を精一杯先読みしようと、今度は傷つかないように予防線を張って、無茶し過ぎないように知恵をつけて…。
どうしても心は強くならない、でも生きていかなきゃいけないのですから。
大人にはなれない
少女はまだ生きていて
本当の事だけ探している
笑う事よりも大切な
誰かの手を強く握って優しい言葉の雨に濡れて
傷は洗ったって傷のまま
感じる事を諦めるのが
これほど難しい事だとは引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
まだ自分の中に残っていた少女は、偽物じゃない本物を求め始めます。社会には嘘が溢れていますよね。社交辞令やおべっかを駆使して、誰とも深い関係にならず当たり障りなく暮らしていく。それが大人なのかもしれません。でも自分の中の少女の部分は、そんなものは認めないのです。
社会を生きぬく上でついた傷、それは優しい言葉をかけられたところで癒えません。もう傷つかないように、感性を鈍く出来たらいいのに。それが本当の大人かもしれないのに…。
どうしても出来ないのです。それは死ぬことと同じなのですから。
ただ生きてほしい
終わらせる勇気があるなら
続きを選ぶ恐怖にも勝てる
無くした後に残された
愛しい空っぽを抱きしめて借り物の力で構わない
そこに確かな鼓動があるなら
どうせいつか終わる旅を
僕と一緒に歌おう引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
2回目のサビでも希望は見えません。その代わりに強さが見えてきます。
「終わらせる勇気」というのは、自殺を指した言葉だと思います。死ぬ勇気があるなら生きることの恐怖にも勝てるだろ。そう藤原は言っています。
夢や希望を無くした空っぽな自分を、それでも彼は愛しいと言ってくれます。この曲のテーマから考えるなら、そこに命があるからということになるでしょう。命は鼓動によって確認されます。まだ生きているなら、いつか人生は勝手に終わるんだから、最後まで楽しんでいこう。そう言っているように読めませんか?
Happy Birthdayの意味
Happy Birthday
引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
この曲で最も印象的だったのが、このフレーズです。藤原基央は別に誕生日じゃなくても、毎日言うくらいでも良い言葉だと語っています。
苦しみながらでも今日まで生きてきた君を、祝う言葉なのです。
感性なんて捨てちゃえば、理想と現実の差とか、人間の浅ましさとか、そんなもので苦しまなくなります。でも捨てずに生きてきた。それはすごいことです。毎日だって祝うべきなのです。
自分の傷は自分にしか癒せない
優しい言葉の雨は乾く
他人事の様な虹が架かる
なんか食おうぜ そんで行こうぜ
これほど容易く日は昇る引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
優しい言葉なんて結局役に立たないし、まぁぶっちゃけ他人事なんでしょ。ということをスムーズに比喩にしています。もうそんなのいいから生きていこうぜ、そう藤原はスマートに励ましてくれるのです。
命の時間の最小単位って1日ですよね。余命とかでもあと○○日とか言いますからね。だとしたらその基準は何回太陽が昇ったかだと思うんですよ。今日も生きてこれた…そう実感するのは太陽が昇ってきた瞬間なんじゃないかなと。
大人になる
悲しみは消えるというなら
喜びだってそういうものだろう
誰に祈って救われる
それよりも大切な手をとって勝ち負けの基準も解らない
だけど確かに守るものがある
教わらなかった夢と共に
少年は大人になった引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
そしてこのサビで、何と戦っているのかもわからなかった自分は、確かなものを見つけます。それは大人になってから新たに見つけた目標です。うわべだけの付き合いじゃない、本当の関係性を持った大切な人を「守る」ということ。少年や少女の頃だったらたどり着けなかったような、大人の目標です。
こうして少年は死ぬことなく、感性を捨てずに、大人になれたのです。
生き続けよう
続きを進む恐怖の途中
続きがくれる勇気にも出会う
無くした後に残された
愛しい空っぽを抱きしめて消えない悲しみがあるなら
生き続ける意味だってあるだろう
どうせいつか終わる旅を
僕と一緒に歌おうHappy birthday
引用:HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
そしてラストの2回し。生き続けることについて藤原基央は語り続けます。一緒に生き続けよう、という強いメッセージが込められていますね。
友人にインスパイアされてできた曲
藤原の同世代の友人に起きた出来事にインスパイアされて制作された。
引用:Wikipedia
曲中の少年と少女にはモデルがいるそうですが、このことについて藤原は多くを語りません。ただ「HAPPY」がその2人への彼の想いを綴ったものであることは、明らかになっています。何があったのかは、推して知るべしです。
アルバム情報
収録アルバムは6作目の『COSMONAUT』です。これまでのBUMP OF CHICKENよりもテクニカルな路線のアルバムで、面白い音を聴くことが出来ます。またこれまでのBUMPよりも意味深で、遠回りな比喩が多いのも特徴かもしれません。
おわりに
この曲についての様々な情報を集めるまで、まさかこんなにシリアスな歌だとは思っていませんでした。この前作は「R.I.P./Merry Christmas」であり、次作は「魔法の料理~君から君へ~」です。
R.I.P.はRest in Peace(安らかに眠れ)の略で、欧米では墓石に刻まれますよね。また「魔法の料理」においても曲中で祖父と死別します。この時、藤原基央の身の回りで何が起こったのか、それはわかりません。しかし他の時期よりも死と近い距離で向き合っていたようです。
だからこそ真に迫る歌詞が書けたのではないでしょうか。この3曲が収録された『COSMONAUT』ぜひ聴いてみてください。それでは。
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