【オーガニック】声を楽器のように使うすげえ奴6選

声を楽器のように使いこなすアーティストをご紹介。いわゆるボイス・パーカッションではなく、電子音楽の素材の一つとして。無機と有機の美しき融合をご覧ください。
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tUnE-yArDs

自分の声をループさせて重ねることで、伴奏にしている。優しいコーラスと力強いメインボーカルの対比の下で広がり続けるサウンドスケープは、1:32~で爆発。強烈な解決・解放はリスナーの胸中に自己肯定の津波を引き起こす。メリル・ガーバスという人のソロプロジェクト・tUnE-yArDs。2018の年のフジロックに来た。ループマシンと声で独特なサウンドを作り上げる彼女の作品は、聴くたびに楽器としての声が持つ可能性を感じさせられる。

in the blue shirt

ボーカルエディットで加工した声を素材に、作り上げられた電子音楽。メロディーが上下に大きく揺れながらも、心地よく束ねるセンスが素晴らしい。関西を拠点に、声を素材とした巧みな作品を発表してきたin the blue shirt。詞が持つ意味のようなものを極限まで希薄化させながらも、彼の人物像が浮かぶような暖かみのある楽曲である。またMVはミッフィーの作者であるディック・ブルーナにインスパイアされたもので、in the blue shirtのポップセンスを表現している。

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文字に起こすと面白い

こちらのMVではカラオケをパロディ化している。シュールに表現される歌詞に意味は無いが、さも意味ありげだ。結局言いたいことは「バイブス」と「マルフォイ」なのかもしれない。それにしてもこのポップセンス、歌のない音楽をここまで聴きやすくしてしまえるのも、素材としての声の力と、そしてin the blue shirtの巧みな音の配置が持つ魅力だろう。

Leggysalad

声の素材の詰め合わせと言えば初音ミク、つまりVOCALOIDである。歌にまで柔軟に対応できるヴォーカルシンセだと思えば、楽器としての初音ミクには大きな可能性がある。DJであるkevin mitsunagaのプロジェクト・Leggysaladは、この画像が示すような壮大な音像でもって、広がる雲海を表現した。

James Blake

人間味を重視する電子音楽家として、北ロンドンから世界に羽ばたいたJames Blake。ラマーが声をパッドで操る。結果として声が打楽器と化す。James Blakeがピッチを変えた声で歌い始めた時、不協和音の中に生まれる高揚。

「僕は感情に執着しているところがあるんだ」と、彼は言う。「ソウル・レコードのように、人が感情移入できるダンス・ミュージックを作りたい。フォーク・レコードのように、聴いた人に人間らしくオーガニックに語りかける音楽を作りたい。僕が求めているのは人間味なんだ。」

引用:universal-music.co.jp-James BlakeのBiography

このJames Blakeの発言が表す、彼が作る音楽の根底にあるもの。複雑なリズムの上で自由に変化する声こそが、会場を昂らせ、人々を躍らせた人間味の正体なのではないだろうか。

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平沢進

異星人が作った音楽といっても過言ではない。そう思わせるのは日本の電子音楽界の巨塔・平沢進の作品である。どこか呪術的なイメージで用いられる声には、単なる装飾を超えたメッセージが(彼にだけ分かる形で)込められている気がしてならない。その壮大でオカルトで哲学者の内省すら感じさせられる音楽性の中で、「声」はこれまで紹介してきたどの音楽とも違った作用を持って響いている。

soejima takuma

九州出身の作曲者/ピアニスト、soejima takuma。現代音楽やノイズミュージックなどに影響を受けて、サウンドコラージュ的な手法で楽曲を発表している。きわめて有機的なはずの女声を、無機的な素材にした「tomorrow world」。イヤホンで聞いてみてほしい。

Jimanica

無機的な電子音と有機的な声が生み出す重層的なリズム。Jimanicaは作曲家でありながら、同時にドラマーである。そのためか彼のリズムに対する解釈には、肉体を通じたアウトプットを感じる。アイデアを直接プログラミングできる電子音楽家と、その体躯を使って表現するするドラマー。双方の良さを併せ持つ彼だからこそ、暖かみを感じるリズムを生み出せる。

おわりに

声が持つ素材としての可能性。歴史を振り返ればJazzのスキャット(※)も声が楽器として使われた例であった。

※スキャット…「ダバダバ」「ドゥビドゥビ」といった意味のない音を使って、アドリブでメロディーを歌うジャズの技法。「歌」ではなく「楽器」というイメージのため、ギターソロ→ドラムソロ→スキャット(ヴォーカルソロ)のような展開になっていることも。

音楽に突然変異は無く、全ての作品はこれまでの音楽史のどこかに位置づけられるだろう。彼らはこの脈々と続いてきたスキャットの系譜の末っ子なのではないかと思う。彼らとジャズのスキャットの間を、かつてのHIPHOP(Jazzを素材として作られていたものも多かった)やHouse(歌の一節を素材にしてループさせる楽曲が多い)が取り持っていたとしても不思議ではない。声を素材として使う系譜の末っ子が彼らだとすれば、その使い方は大きく変化している。将来その下の世代で声はどのように使われていくのだろうか、声と電子音楽の関係性がどのように変化していくのか、非常に楽しみだ。

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