音楽の軸
野田洋次郎は様々な音楽の影響を受けている。これは野田洋次郎のソロプロジェクト・illionから、ラッパーの5lackをフィーチャーした曲。彼が様々な音楽を通過して、RADWIMPSに落とし込んでいることが分かる。この曲では独自路線を突き進むイギリス発ポストロック・Radioheadの影響が見られる。野田が影響を公言しているバンドの一つだ。
この他にも「いいんですか?」ではレゲエのスタイルを使い、「揶揄」でのバックの演奏からはソウルの気配がする。多様な音楽に精通し、ロックに混ぜて使っているのがRADWIMPSの特徴だ。
androp
よくRADWIMPSに似ているとして名前を挙げられるandrop。この2009年に活動を開始した4人組が、RADの影響下にあるのかは定かではないが、類似する要素をいくつも持っている。
- ハイトーンのヴォーカル
- スラップ(※1)が大好きなベーシスト<cf.androp「ミラーダンス」/RADWIMPS「ギミギミック」>
- ポストロック(※2)の影響下にある静謐さ<cf.androp「Missing」/RADWIMPS「me me she」>
- ポストロック由来であろう複雑なリズム<cf.androp「colorful」/RADWIMPS野田のソロ作illionから「BEEHIVE」>
特にスラップの要素や複雑なリフには、かなりの共通性が見いだせる。RADWIMPS「おしゃかしゃま」だって「ギミギミック」だってこの組み合わせだ。ポストロックとブラックミュージックを混ぜたロックバンドという点で共通している。
※1.スラップ…ベースを”はじいて”鳴らす奏法。本来弦楽器であるベースに打楽器のニュアンスが加わる。なお野田洋次郎はスラップ主体のロックバンドである、Red Hot Chili Peppersをリスペクトしている。
※2.ポストロック…ロックバンドの先(=ポスト)を志向しているような音を鳴らすバンドが定義されるジャンル。深い残響を伴うサウンドだったり、複雑なリズムがあれば勝手に分類されてしまうので注意。日本だと凛として時雨がポストロックまっしぐら。
川谷絵音
川谷絵音[Gt./Vo.]のスタート地点で、今も気合が入りまくってるバンド。残響を伴うドラムや極端に減らされた音数にはポストロックの影響が見て取れる。しかしindigo la Endの音楽性は、ファンクやラテンなど様々な音楽に精通しており、これは彼の一側面でしかない。
そしてなぜか曲よりも名前が有名になってしまったあのバンドでは、ヒップホップとプログレッシブ・ロックやファンクなど様々なものの融合を目指している。この幅広さが共通点だ。
RADWIMPSとツーマンやります。高校の時から聴いてたからさ、嬉しいよね本当に。
— enon kawatani (@indigolaEnd) 2015年9月16日
ただ同世代の多くのバンドマンのように、川谷絵音もRADWIMPSを通っている。そしてRADの野田と同じく、Radioheadをリスペクトしていることも、共通性に繋がっている。
Dragon Ash
野田が影響を公言しているもう一つのバンドが、Dragon Ashだ。ヒップホップとロックの融合を果たし、アンダーグラウンドシーンからラッパーを引きずり出し、「東京生まれ HIPHOP育ち 悪そうなやつは 大体友達」というダサいリリックをヒップホップの代名詞にして、最後には公開処刑された。RADのラップも「いいんですか?」のようなレゲエ由来のものと、「揶揄」のようなヒップホップ由来のものに分けられるだろう。
音楽を先へと進める
そしてこのミクスチャーは、ロックを新たなステージへと導いていく。最初にRADが売れたのは、彼らの音楽がこれまでにない斬新なものだったからだ。そしてその原型にはRadioheadやRed Hot Chili Peppers、そしてDragon Ashなど、様々なジャンルを混ぜてきた先駆者たちの存在があったのだろう。
今ある音楽から新たな音楽を生み出し、1を100に変えていく音楽シーンで、最も動きがあって面白い界隈と言えるんじゃないだろうか。
社会批判/人間への疑念の軸
初期~中期のRADWIMPSは恋愛脳だった。しかし5th Album収録の「おしゃかしゃま」の歌詞には、恋愛の要素なんて一切出てこない。ただ口早に人間の傲慢を糾弾した。「狭心症」では静/動の対比が繰り広げられる7分間の道のりに、神・人間への疑念や世界の矛盾が詰め込まれる。そしてその強い想いは映像にも反映されている。
世界を信じられなくなり、オーバーヒートし、暴走したのがYouTube配信限定曲「カイコ」だ。親による子殺しのイメージは、神が作った世界の矛盾を糾弾する。同時にこの曲は当時の日本政府が取ろうとした震災の対応を批判する歌でもあった。これらの曲でRADWIMPSが行ってきたのは、紛れもなく社会批判だ。
SEKAI NO WOARI
社会批判/人間への疑念を共有するバンドが、SEKAI NO OWARIだ。中期以降は童話的な世界観の構築へと傾倒していく彼らだが、初期はRADWIMPSと同じ方向を向いていたように思う。しかし観念的なRADWIMPSの詞と違い、どこかリアリティーのある言葉の数々は、同じシーンにいながら別の道を歩んでいたことを示唆する。
amazarashi
RADが「おしゃかしゃま」をリリースする前から、人間への疑念を歌ってきた青森の2人組・amazarashi。引き込まれるストーリーを持った映像や性善説(=人間は生まれたときには善な存在であるという説)を否定する歌詞は、彼らのメッセージを効果的に伝える。それは善/悪を超えて、人の間には愛が存在するということ。そしてそれはRADWIMPSの社会批判的な側面と、恋愛に特化する側面の対比を思い出させる。
世界をより良い方向へ
RADWIMPSの社会批判的な曲はどれも、ラストに少しの希望が見える形で終わる。このシーンに属するグループは人がいつか良い方に向かうと信じているからこそ、人間への疑念を歌っているように思う。
世界をより良い方向へ導こうとする彼らの曲が、世界を変えられるかどうかはわからないけど、そこに込めた熱量はリスナーの中にも息づいていくだろう。
おわりに
RADWIMPSが持つ要素と、それに類似するバンドを探し、4つの軸を見つけ出した。冒頭述べたように、かなり影響力を持っているバンドであり、今後も注目していかなければならないだろう。
「BUMP~RAD~米津軸」の3者がどちらに動いていくかということが、今後の邦ロックシーンを左右していくように思う。そこで注目されるのは「音楽の軸」で見たように、どの音楽を取捨選択して彼らが新しい音楽を作っていくのかということだ。もしかすると「女々しい歌詞の軸」や「社会批判/人間への疑念の軸」とはまた違った歌詞の在り方が生まれてくるかもしれない。
俺にはRADや、今日紹介したバンドたちの動きが、10年後の邦ロックシーンを決定づけるように思えてならない。どうか音楽の神よ、我らを面白い方向へ導きたまへ…。それでは。
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